「47歳で第一子」誕生の男性が24年勤めた《リクルート》を辞めて移住&”専業主夫”になるまで。今も「養ってもらっている」訳ではない理由とは?

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1991年、河野さんは新卒でリクルートに入社。求人サイトの法人営業として、新規顧客開拓、既存顧客との関係の維持・強化に尽力した。

入社当時は研修の一環として、社外の人間と名刺を交換し100枚獲得するという「名刺100枚獲得キャンペーン」なるものが実施されていた。昔ならではの泥臭い方法かもしれないが、現場感覚や仕事に対する耐性などが大いに鍛えられるという。

「量は質を凌駕する、っていう言葉が社内でもありましたね。社内研修がものすごく充実していました」

河野さんの実家は北九州にある。家業は銭湯を営んでおり、父は外で会社員を、母は家業の手伝いをしている忙しい両親だった。他に12・13歳年上の兄姉がいたが、実質的には「大人の中にひとりだけ子どもがいる」ような状況で育った。

「僕自身、親が高齢のときに生まれた子でした。みんな忙しくて、割とほったらかしで育てられたわがままな子どもだったんです。それが大人になって災いして、会社に入ってから大変な思いをしました」

リクルート時代の河野さん(写真:河野さん提供)

若さゆえの「勘違い社員」だった

「自分が全部正しい、周りは馬鹿」「型にはめられるのが嫌」「基本的な挨拶ができない」「問題が起きると言い訳を考え、周りのせいにする」。そういう若者だったと話す。

自己中心的で他責思考の若者が、自己を省みるまでに成長できたのは、徹底的な社員教育のおかげだという。

「例えば『360度評価』という研修では、同僚・上司・顧客先まで、自分の見た目から行動などに関するアンケートをお願いするんです。びっしりと項目がありましたが、20〜30人分くらい集計します。

それを踏まえ、周りからの評価と自分自身の評価について講師からとことん詰められて、今後の行動をどうするかを決める。それを部署に持ち帰り、アンケートに答えてくれた同僚・上司の前で表明する。すると、その内容をまた厳しく指摘されまくる」

今の時代には合わないかもしれないけど、と河野さんは言い添えつつも「そういうことを繰り返して、やっと客観的に自分を見られるようになった。そこからだいぶ変わりましたね」。

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