ハーバードMBA修了生の4分の1が"職なし"、AI時代の大学に求められる「真正良心」の教育

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電卓が出現したときはイノベーションであったが、今や100円ショップで売られている。AIはもっと速い速度でコモディティー(汎用品)化するだろう。そうなったとき、現代人が電気を水道のような感覚で使っているように、特殊性、ありがたみが薄れてくるはずである。

数年は、次から次へと新しい商品が出てきた昭和の家電ブームのように、人々を驚かせるだろう。しかし、後になって振り返れば、単なるAIブームだったと気づくのではないだろうか。

AIは、人間のように「妄想」することはできない。AIは、あくまで与えられたデータからパターンを学習し、論理的な処理を行う存在だからである。

例えば、AIは言葉の裏にある感情や意図を、人間のように「理解」するわけではない。特定の言葉がどのような文脈で使われるか、その統計的な関連性を学習しているにすぎないのだ。そのため、感情に起因するような、人を見下す行為や、悪意ある皮肉を言う、といった行為は、その機能上不可能である。

ところが、このAIの短所が客観的で公平な判断を下すうえでは強みとなり、結果的に人間社会において「倫理的」な存在となりうる。AIの判断は、学習データとアルゴリズムに基づいたものであり、この特性は、とくに公正な判断が求められる分野や、感情的な偏りを排除すべき場面において、重要な役割を果たす可能性を秘めている。

AI時代にこそ必要な人間の「良心」

とはいえ、AIが提供する「人工良心」とは異なる、人に求められる「真正良心」とは、AIの客観的判断とは異なる、深い共感や倫理観に基づく道徳的な指針である。これは、データやアルゴリズムのみに頼らず、他者の感情を考慮し、全体像を把握し、自身の経験や価値観から善悪を判断する能力を指す。AIが論理的に「正しい」とすることと、人間が良心に基づいて「行うべき」とすることには、隔たりがあるのだ。

「真正良心」を備えるどころか、人を見下すようなリーダーは、AIよりも劣る可能性がある。童謡の「どんぐりころころ」の一節ではないが、お坊ちゃん・お嬢ちゃんが「おいけにはまって さあたいへん」となったとき、顧客、従業員、取引先は「ぼっちゃん いっしょに あそびましょう」とは言ってくれなくなるだろう。

真のリーダーには、AIには持ちえない、人間ならではの「真正良心」が不可欠である。それこそが、育ちがよいお坊ちゃん・お嬢様にも求められる資質であり、魅力でもある。

長田 貴仁 経営学者、経営評論家

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おさだ たかひと / Takahito Osada

経営学者(神戸大学博士)、ジャーナリスト、経営評論家、岡山商科大学大学客員教授。同志社大学卒業後、プレジデント社入社。早稲田大学大学院を経て神戸大学で博士(経営学)を取得。ニューヨーク駐在記者、ビジネス誌『プレジデント』副編集長・主任編集委員、神戸大学大学院経営学研究科准教授、岡山商科大学教授(経営学部長)、流通科学大学特任教授、事業構想大学院大学客員教授などを経て現職。日本大学大学院、明治学院大学大学院、多摩大学大学院などのMBAでも社会人を教えた。神戸大学MBA「加護野忠男論文賞」審査委員。

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