教会で”聖書”を教えていたことも!知られざる石破首相の《キリスト教信仰》。”神に選ばれた存在”としてトランプ大統領とも共鳴?
よく「石破茂は変わり者だ」とか「三白眼で目つきの怖い時がある」と評されます。総裁選に出る際も「石破さんには根拠のない異常な自信があった」と周囲から聞きました。第三者には理解しがたい一面が石破さんにはあるということでしょう。
しかし当の本人は、そんな風評を一顧だにしません。なぜならば、彼は神の前で謙虚であり「自分は神に選ばれた人間で、与えられた使命がある」と確信しているからです。これはトランプと共通する内在的論理です。
『旧約聖書』の『ヨブ記』に、「人生は短く苦しみは絶えない」(一四章一節)という預言者ヨブの言葉があります。この地上で起きる苦難は、すべて神によって与えられた試練であって、この苦難を耐えれば、神は必ず人間に救いの手を差し伸べてくれるというのがヨブの確信でした。
だから石破さんも、直面する困難な状況においては、それを神が与えた試練だとして神に祈り、神と相談してどうすべきかを決める。総裁選であれ裏金議員の処分であれ、周囲が当惑するような石破さんの決断には、彼が聞いた“神の声”があったのだと思います。
石破さんとトランプによる初の日米首脳会談は、成功を収めました。舛添さんが指摘されたとおり、2人の信頼関係が構築できたからです。これは日本側の最大の目標でした。
同じ信仰を持つ者同士、心が大きく共鳴し合ったのでしょう。特に会談の冒頭で石破さんが、トランプ暗殺未遂事件直後に撮影された写真(青空にはためく星条旗をバックにトランプが右の拳を突き上げた写真)に言及し、「歴史に残る一枚。大統領が、自分はこうして神様から選ばれたと確信したに違いないと思いました」と語ったことが、決定的な役割を果たしたと言えます。
“神の選び”という意識
キリスト教のなかでも“神の選び”を強調するのはプレスビテリアン、リフォームド(改革派)など、カルヴァンの流れを引く人々の特徴です。神に選ばれていることを察知できるのは神に選ばれた人だけですから、トランプからすると「俺が神に選ばれた人間であることをわかっているシゲル・イシバも、神に選ばれているのだ」という認識になります。
神に選ばれている者は、召命すなわち特別の使命を持ち、神に選ばれた者同士はその意味を理解するのです。私もカルヴァンの影響を強く受けたプロテスタントなので、石破さんとトランプの心の動きが、信仰を共有する者として手に取るようにわかります。
銃撃された直後の演説でトランプが「神の恩寵と摂理で自分は救われた」と言ったことは前述しましたが、1月20日の大統領就任演説でも、同じことを繰り返しています。
ほんの数カ月前、美しいペンシルベニアの地で、暗殺者の弾丸が私の耳を貫通した。しかし、私の命が救われたのには理由があったのだとその時感じた。今ではその確信を強めている。私はアメリカを再び偉大にするために神に救われた。(時事通信社「時事ドットコム」2025年1月20日。以下、本章のトランプ大統領就任演説は同じ)
神懸かり的な雰囲気を醸し出しています。暗殺されかけ、九死に一生を得たあとに就任したアメリカ大統領は、トランプがはじめてでしょう。
それだけに「自分は神によって選ばれた」という意識が強く、信念にもとづいて強硬的な政策を取ることが許されるし、正しいことを行なって反発を受けるのも織り込み済みだ、と考えるでしょう。
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