研究者の間でもいまだに定説と呼べる一致を見ない"古代史の謎" 朝鮮半島に古代日本の「植民地支配」はあったのか

あらためて『古事記』『日本書紀』の記述を辿ります(写真:Homer/PIXTA)
「三韓征伐」によって、高句麗・百済・新羅など朝鮮半島諸国は日本に服属するようになった――。現在ではこうした『古事記』『日本書紀』の誇大な記述を肯定する研究者はいないものの、一方で、「朝鮮半島における古代日本の植民地支配」の実態については、いまだに定説と呼べるものがないといいます。
本稿では、堺女子短期大学副学長・図書館長の水谷千秋氏の著書『なぜ朝鮮半島に前方後円墳があるのか』から一部を抜粋・編集する形で、あらためて『古事記』『日本書紀』の記述について辿っていきます。
古代日本の植民地支配はあったのか
日本の歴史上、この国が朝鮮半島に組織的に侵攻したことが3度ある。一番最近は19世紀の半島進出から20世紀の韓国併合。これは1945年8月の日本の敗戦まで続いた。その前は豊臣秀吉の2度にわたる朝鮮出兵(壬辰・丁酉の倭乱)だが、これも歴史的には暴挙と言わざるを得ないだろう。
その前が日本の古代で、『古事記』・『日本書紀』によれば、第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后神功(じんぐう)皇后が海を渡って「三韓征伐」をし、以来、高句麗・百済・新羅など朝鮮半島諸国は日本に服属するようになったと記している。
トピックボードAD
有料会員限定記事
キャリア・教育の人気記事
無料会員登録はこちら
ログインはこちら