テレサ・テンはなぜ「台湾人」と自分のことを言わなかったのか、中国人、台湾人とアイデンティティーで悩む台湾芸能人の胸の内

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2025年1月10日、今でも人気を誇るテレサ・テン(鄧麗君、写真左、享年42)の誕生日記念式典に参加した中国からの観光客。(写真・SOPA Images/Getty Images)

今も日本で高い人気を維持している台湾出身の歌手、テレサ・テン(鄧麗君)さんが亡くなって、2025年は30年になる。その彼女が残した名言がある。

「私はチャイニーズです。世界のどこに行っても、どこで生活しても私はチャイニーズです。だから今年の中国の出来事、すべてに私は心を痛めています。中国の未来がどこにあるのか、とても心配しています。私は自由でいたい。そして、すべての人たちも自由であるべきだと思っています。それが脅かされているのが、とても悲しいです。でも、この悲しくて辛い気持ち、いつか晴れる。誰もきっとわかり合えるその日が来ることを信じて、私は歌っていきます」(1989年11月24日TBSテレビ「テレサ・テン15周年スペシャル」より)

テレサ・テンの本心

これは、1989年6月4日に中国で発生した天安門事件を受けての彼女の発言だ。台湾と中国が対立を深める現在から見ると、台湾出身の彼女がなぜ「チャイニーズ」なのか、疑問に思うかもしれない。なぜ彼女は、自分が「台湾人」だと言わなかったのか。

彼女は台湾の「外省人」(戦後に台湾に渡ってきた中国大陸出身者とその子孫)である。1953年に台湾中部の雲林県で生まれた彼女だが、父親は中国の河北省出身、母親は山東省出身。父親は国民党側の軍人で、中国で日本軍とも戦ったことがある。しかし、1949年に国民党が共産党との内戦に敗れたことから、国民党軍に従って台湾に移ってきた。

当初の「外省人」は、国民党政権に伴われて統治者としてやってきたエリートと、兵士として軍隊とともに連れてこられて台湾社会の底辺を構成することになる人たちに、大きく2つに分けられる。いずれであっても、中国共産党は敵だが、中国は故郷である。内戦で台湾海峡両岸が分断された結果、長く中国の故郷に帰ることができなかった。

テレサ・テンさんは日本に渡る前、すでにアジア各地で絶大な人気を確立していた。中国でも高い人気を誇り、放送禁止になっても多くの人が彼女の歌をこっそり聞いていたという。その彼女は、中国への反攻を目指して中国軍と対峙する台湾の軍隊の慰問を盛んに行うなどして、愛国歌手と位置付けられた。

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