台湾に来た中国人配偶者「陸配」がなぜ台湾の政治的問題として浮上したのか、その歴史と現政権の思惑、そして移民・人権問題(中)

おびえながら暮らしている
コロナ禍真っただ中の2021年に台湾にやって来た上官乱さんは、トランプ政権が連邦政府の経費削減を行う前まで、アメリカ議会が開設した放送局「ラジオ・フリー・アジア」(自由アジア放送、RFA)で番組を持っていた。今後はドイツ国営の国際放送「ドイチェ・ヴェレ」(DW)に移ることになっている。このほかにも、ネットメディアなどさまざまなメディアで活動を続けている。
そうした活動の中で、もともと政治評論を担当していたあるネットテレビで陸配をインタビューしようと思い付いた。一人一人インタビューしていくうちに見方が大きく変わっていく。彼女自身だけでなく視聴者も台湾人のスタッフも、陸配がこれほど苦労しながら、たいへんな思いをしていたのだと初めて知ることになった。
「たくさんの陸配に話を聞いてきましたが、どれも聞くも涙、語るも涙のものばかりです」と上官乱さん。番組のためにインタビューした人が40~50人、その他の取材のために60~70人の陸配から話を聞いたという。
ただ今回、上官乱さんに話を聞くに当たって念押しされたことがある。「自分の番組はあまり広く知られたくない」という本音だ。
番組が炎上すれば、陸配に迷惑がかかる。そして二度と自分の番組でインタビューを受けてくれなくなる。今の台湾で陸配は、中国との関係悪化の中でおびえながら暮らしているのが実状だ。
なぜ「陸配」は生まれたのか
陸配はなぜ台湾にやって来るようになったのか。振り返ると、それは1987年に台湾が中国への親族訪問を解禁してからだ。

中国共産党との内戦に敗れた中国国民党(国民党)が台湾に落ち延び、中国で共産党政権が誕生した1949年以来、敵対する台湾と中国との往来は閉ざされていた。
しかし台湾に民主化の波が押し寄せ、1987年に戒厳令が解除されてからは、「親族訪問」という名義で中国への帰省が可能になった。
国民党とともに多くの「外省人」(戦後に台湾に渡ってきた大陸出身者とその子孫)が台湾に渡って来ていた。そうした人たちにとって念願だった大陸の故郷への帰省が可能となり、その後自身が中国の女性と結婚したり、息子たちのために中国の嫁を台湾に連れて帰る人も出てきた。
往来が拡大していくと、台湾と中国の経済格差もあり、そうした行為が「本省人」(戦前からの台湾住民とその子孫)にも広がっていった。だが、そんな陸配には台湾での生活で限度があった。
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