「自由が大切だからといって、銃を持つ人の自由を許すとどうなるのか?」ノーベル賞経済学者スティグリッツが問い直す

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少し考えてみれば、リスクや生命の考え方も状況により大きな違いがあることがわかる。アメリカは、2001年9月11日に世界貿易センターやペンタゴンが攻撃された報復として、戦争を始めた。このテロ攻撃では、3000人弱の人々が死亡した。それに続く戦争では、およそ7000人のアメリカ人、10万人以上の同盟軍兵士、数百万人ものアフガニスタン人やイラク人が死亡し、数兆ドルのコストがかかった。

その一方で、今世紀最初の20年間で、気候変動や大気汚染により毎年500万人が死亡していると推計されている。今後数十年間で、死亡者数はさらに増え、莫大な財産が失われるおそれがある。

それなのに私たちは、これほど莫大な人的・物質的損失を緩和するのに必要な比較的少額な支出にさえ、合意できないでいる。こうして暗黙のうちに、その影響を受ける大勢の人々の自由が失われている。

正の外部性、負の外部性

外部性は、有益(正)にもなれば有害(負)にもなる。社会をうまく機能させるには、正の外部性を伴う活動を推進しながら、負の外部性を伴う活動を抑制する必要がある。

知識経済に移行するにつれて、情報や知識の外部性が第一義的な重要性を帯びてきている。ある企業が知識を向上させれば、その企業の利益になるだけでなく、場合によってはほかの多くの人々の利益にもなる。消費者は価格の低下により利益を受けられるかもしれない。あるイノベーションがほかのイノベーションを誘発することもある。

外部性があるのにそれに気づいていない場合もある。十分に立証されている一例を挙げると、妊婦が道路の料金所のそばに暮らしていると悪影響がある。自動車やトラックの排気ガスのせいだ。環境科学について知っていようがいなかろうが、その汚染が被害を及ぼす。

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