危機的状況のJR加古川線「観光路線」になれるか 赤字ローカル線だが大阪・関西万博に合わせ増発

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

ただ中山間地の過疎化や交通の自動車化を背景に、1970年代には利用者の減少が顕著になっていた。1980年の国鉄再建法を受けて1985年に三木線、北条線は第三セクターに転換した。

1987年に国鉄が分割民営化され、JR西日本の加古川線になると1989年からワンマン運転を開始。1990年に鍛冶屋線が廃止になり、2008年には三木線を引き継いだ第三セクターの三木鉄道も廃止された。

三木鉄道の廃線跡
三木鉄道の廃線跡にはバラストが残る。奥はJR加古川線の厄神車両基地(筆者撮影)

震災時は代替ルートとして活躍

2024年に加古川―谷川の全線開業100年を迎えた加古川線だが、沿線の人口は減少が続いている。

地味な路線ながら、注目されたことが皆無だったわけでもない。30年前の阪神・淡路大震災が発生したときは、神戸市内でJR神戸線(東海道本線)の住吉―灘が約2カ月半にわたって不通になった。

この際、尼崎から福知山線に入って谷川駅から加古川線に乗り継ぎ、JR神戸線(山陽本線)の加古川駅に到達するルートが東西交通の代替ルートとして使われた。当時の現有車両では間に合わず、東北地方から呼び寄せた車両を追加で投入したという。

西脇市―谷川間が電化されて、加古川線の全線電化が完了したのは、この9年後の2004年のことだった。

この記事の画像を見る(16枚)
次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
鉄道最前線の人気記事