尼崎と宝塚結ぶ「幻の鉄道」なぜ実現しなかったか 兵庫県道「尼宝線」実は線路の予定地、今も残る跡

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尼宝線 兵庫県道42号
幻に終わった「尼宝電鉄」の痕跡である兵庫県道42号に立つ「尼宝線」の名を刻む案内標識。右は山陽新幹線の高架橋(筆者撮影)

「兵庫県道42号尼崎宝塚線」は、その名の通り兵庫県の尼崎市から伊丹市を経て宝塚市を結ぶ一般道だ。尼崎―宝塚間を結ぶ路線バスも、阪神電気鉄道(阪神電鉄)を親会社とする阪神バスが運行している。

宝塚には阪急電鉄の宝塚本線や今津線が乗り入れているだけでなく、宝塚大劇場など阪急系のレジャー施設が多い。この地域を走るバスも、大半は阪急バスが運行。そんな場所に阪神バスが乗り入れているのは違和感を覚える。もっともいまとなっては、そうした違和感も過去のものになりつつあるが。

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阪神vs阪急の競争が発端の「尼宝電鉄」

阪急・阪神の経営統合から来年2026年で20年を迎える。いまでこそ一つの持株会社の下で鉄道やバスを「仲良く」運営している阪神電鉄と阪急電鉄だが、かつては大阪―神戸間の鉄道輸送で競争を繰り広げ、この地域の鉄道整備や観光開発でも反目しあった「犬猿の仲」だった。

兵庫県道42号や宝塚に乗り入れる阪神バスも、その激しい争いの歴史のなかで生まれた「幻の鉄道」の痕跡といえる。

【地図と写真でわかる】尼崎と宝塚を結ぶ計画だった「尼宝電鉄」は阪急も同じ区間の路線を計画して激しい争いに。未開業のまま終わった線路予定地には今もわずかながら鉄道計画の痕跡が見られる

阪神電鉄は明治中期の1899年に設立。当初の商号は摂津電気鉄道だったが、すぐに現在の商号に改称している。1905年、現在の本線・大阪梅田―神戸三宮間に相当する区間を開業。大都市間を高速運転の電車で結ぶ電気鉄道の先駆けだった。

これに対して阪急電鉄は、1907年に設立された箕面有馬電気軌道(箕有電軌)が起源。現在の宝塚本線・大阪梅田―宝塚間と箕面線・石橋阪大前―箕面間を1910年に開業した。こちらは郊外路線だが、沿線の住宅開発やレジャー開発を行うことで需要を創出。鉄道を中心とした多角経営の先駆けとなった。

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