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尼崎と宝塚結ぶ「幻の鉄道」なぜ実現しなかったか 兵庫県道「尼宝線」実は線路の予定地、今も残る跡

兵庫県道42号の位置。阪神線(青)のエリアから阪急線(マルーン)のエリアに入り込んでいる(国土地理院地図を筆者加工)
1920年9月時点:阪急電鉄が大阪(梅田)―神戸間を結ぶ鉄道を開業して阪神電鉄との競争が始まった。現在の今津線は西宮北口―今津間(マルーン点線)が未開業(国土地理院地図を筆者加工)
1922年11月時点:尼宝電鉄が出屋敷―宝塚間の鉄道路線(青点線)を申請。当初は武庫川沿いに北上する計画だった(国土地理院地図を筆者加工)
1923年5月時点:阪急電鉄が循環線(マルーン点線)の計画を申請。宝塚に乗り込もうとする尼宝電鉄・阪神電鉄に対抗した(国土地理院地図を筆者加工)
1923年10月時点:尼宝電鉄が阪急伊丹線に張りつくようなルート変更を申請するとともに、阪神電鉄も出屋敷―今津間の海岸寄りを通る新線の計画を申請(青点線)。阪急の循環線計画に対抗した(国土地理院地図を筆者加工)
1924年7月時点:国は阪神電鉄と阪急電鉄が直接競合しないルートのみ許可。尼宝電鉄も中間部では阪急線と競合しないルートに変更して着工した(国土地理院地図を筆者加工)
現在は高架化されている阪神本線の尼崎駅(筆者撮影)
阪神尼崎駅の南口で発車を待つ宝塚行きのバス(筆者撮影)
バスは阪神尼崎駅から西大島までは国道2号(阪神国道)を走り、西大島交差点で阪神国道(手前)から尼宝電鉄の線路敷を活用した兵庫県道42号(奥)に移る(筆者撮影)
西大島交差点の近くにあるバス停。屋根と腰掛けが付いた待合スペースには鉄道の駅名標のような停留所名の表示があった(筆者撮影)
かつては尼宝電鉄の路盤=専用道と同じ複線(2車線)分の幅しかなかった県道42号だが、周辺開発と交通量増加に伴い現在はほぼ4車線化されている(筆者撮影)
県道42号は南武庫荘五丁目停留所から武庫荘駅西口停留所にかけて阪急神戸本線をまたぎ、阪急のエリアに入っていく(筆者撮影)
阪急神戸本線をまたぐ部分の県道42号は唯一2車線のまま残っているが、最近になって4車線化の工事が本格化している(筆者撮影)
山陽新幹線の高架橋をくぐる。道路脇には県道42号の通称「尼宝線」の名を刻む案内標識が立っていた(筆者撮影)
伊丹市内の県道42号を走る阪神バス(筆者撮影)
西野停留所の近くに埋まっていた境界標。一般道化する前の専用道でバスを運行していた阪国バスの境界標とみられる(筆者撮影)
小浜停留所付近で国道176号に合流して宝塚の中心部へと進む(筆者撮影)
宝塚は阪急の「牙城」。阪急バスが走り、阪急系のスーパーマーケットもある(筆者撮影)
阪急系のスーパーマーケットの前にあるバス停に阪神バスが停車。ちょっと違和感のある光景だ(筆者撮影)
小浜停留所から先は阪神バスと阪急バスがバス停を共用。「阪神バス」「阪急バス」の文字が並ぶ姿は、かつての「反目」の歴史からは想像がつかない(筆者撮影)
阪神バスに乗ってJR宝塚駅前に到着。背後には阪急電鉄の宝塚駅が見える(筆者撮影)
宝塚駅のバス停前にあった阪神バスの案内所。2015年12月時点で閉鎖されており、定期券は阪急バスの案内所で扱っていた(筆者撮影)
阪急伊丹線の終点・伊丹駅の駅ビル。震災後の1998年にオープンした(筆者撮影)
阪神尼崎駅の北側にあるバスターミナルで発車を待つ阪急バス。同社も伊丹線の旧計画に沿うようにして阪急塚口―阪神尼崎間を結ぶバスを運行している(筆者撮影)
かつての阪急伊丹線の電車。写真の90形は1960年代半ばまで活躍した車両(写真:たけPON/PIXTA)
宝塚歌劇団の本拠地、宝塚大劇場と阪急今津線の鉄橋(編集部撮影)
「兵庫県道42号尼崎宝塚線」は、その名の通り兵庫県の尼崎市から伊丹市を経て宝塚市を結ぶ一般道だ。尼崎…