室星さん自身、夫が単身赴任でいない中でも「社会参加する生き方」を見せたいと子育てと仕事を両立してきた自負がある。そんな母の背中を見て、娘たちもやりたい仕事を見つけ、それを室星さんは全力でサポートした。
現在は長女の子供たちは大きくなったが、次女の子供たちは小学生と幼稚園生ということもあり、まだまだ手のかかる年頃だ。今でも室星さんは孫と休日は鬼ごっこをするなど、長いときは3~4時間公園で遊ぶこともある。また、孫とのお出かけもお手の物だ。
「東京は博物館や遊び場などがたくさんあって、どこにでも電車ですぐ行ける。山形ではそうはいきません。春休みには、孫が戦国時代に興味を持っているので、関ヶ原を旅行しました。子供や孫とこうして一緒にいられることが、本当に幸せです」

移住後すぐに再就職
一方で流美子さんも、移住の翌月には仕事を再開、現在に至るまで介護の仕事を続けている。
60歳の時に一度は定年退職をしたが、そのタイミングで介護系の学校に通い直し、介護の講師の資格を取得。この資格を生かし、職業訓練校での講師を始め、現在で13年目になる。
60歳を過ぎてからの勉強は大変だったはずだが、それでも流美子さんは明るく語る。「山形にいる時から、いつかは教える立場になりたいと思っていました。今は、介護の楽しさを若い人たちに伝える仕事ができて嬉しいです」。
そんな流美子さんにとって、東京は働き口を見つけるという点でも理想的な場所だった。山形に比べ、仕事の選択肢も多く、勤務地への移動も楽だ。また、山形では接する相手が「知り合い」か「知り合いの知り合い」で気を遣うことも多かったが、そんな場面もない。
今も講師業と並行して、タイミーなどのアプリを活用し、隙間時間で介護現場にも立っている。
「90歳過ぎてもヘルパーの仕事を続けている人もいる。自分より年下の人を介護するヘルパーも今は多い。私も健康で身体が動くまでは介護の仕事を続けたいと思っています」
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