米原駅、「北陸の玄関口」を行き交った列車の記憶 明治から続く「鉄道の要衝」老舗の駅弁販売終了

東海道本線と北陸本線、そして東海道新幹線が接続し、太平洋側と日本海側をつなぐ日本の鉄道の要衝としての地位を誇ってきたのが米原駅だ。明治時代からこの駅で駅弁を販売し、長年旅行者に親しまれていた老舗の「井筒屋」が、2月末で駅弁の販売を終えた。
米原駅といえば、かつては在来線の特急や急行、そして夜行列車が数多く発着し、あわただしく乗り換える乗客の胃袋を満たす駅弁の販売は、鉄道の重要拠点であることを示す証であった。その終了は、駅の地位低下を示すようで寂しいものがある。
「鉄道の街」米原の思い出
北陸出身の筆者にとって米原駅は帰省の際、東海道新幹線や東海道本線から北陸本線への乗り継ぎで数えきれないほど通った駅であるとともに、付近に列車撮影に適したスポットが多いことから取材でもなじみ深い。今回は米原駅、そしてこの駅に関係する列車の思い出について語ってみたい。
米原駅が開業したのは明治時代の1889年。東海道本線と、のちに北陸本線となる長浜への路線の分岐駅として設置された。北陸本線はその後1896年に福井まで、1899年には富山まで、そして1913年に最後まで残った糸魚川―青海間が完成し全線が開業、北陸各地を結ぶ大幹線が誕生した。米原駅は東海道と北陸を結ぶ重要な中継点として「鉄道の街」として栄えることになる。
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