米原駅、「北陸の玄関口」を行き交った列車の記憶 明治から続く「鉄道の要衝」老舗の駅弁販売終了

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ある年の帰省時、仕事を終えた夜に新幹線「こだま」から、まだブルートレインに格上げされる前の急行「日本海」に乗ったときだ。旧型客車はデッキまで満員だったが、筆者が降りる武生までは1時間半ほど、少し我慢するかとぎゅうぎゅうの車内になんとか乗り込んだ。

何とか洗面所のあたりに落ち着くと、10代の女の子が洗面所の隅にうずくまっていた。「どこまで行くの」と尋ねると「青森まで」。恐らく集団就職などで関西に来て、帰省する途中だったのだろう。彼女がその後、青森まで座って帰れたか気になるところであった。米原は、さまざまな人生を乗せた列車が行き交う場所だった。

急行きたぐに EF58牽引
米原駅に停車する、EF58形電気機関車が牽引する急行「きたぐに」(撮影:南正時)

特急・急行華やかなりしころの記憶

鉄道写真家として列車を撮影するようになってからも、米原は重要な拠点だった。東海道本線の難所である関ケ原や、数多くの特急・急行が走り「特急街道」とまで呼ばれた北陸本線の撮影地などを回るのによい足場だったからだ。

とくに思い入れが深かったのは「ゆのくに」「立山」「兼六」といった急行列車だ。ひときわ目立つヘッドマークを取り付け、グリーン車2両にビュフェも連結した12両の長大編成は北陸路の華だった。

急行兼六
グリーン車2両とビュフェ車を連結した堂々の12両編成で、ヘッドマークを掲げて快走する急行「兼六」=1974年12月(撮影:南正時)
特急雷鳥 ボンネット
米原経由だった時代の特急「雷鳥」。ボンネット型先頭車の編成が北陸本線の余呉付近を走る(撮影:南正時)
【写真】米原駅付近で離合する新幹線0系と381系特急「しなの」
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