「10年で2億り人」になった私が"絶対しない投資" 資産を4分の1に減らした経験から学んだこと

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そのころは、現在のようなインデックスファンド(インデックスファンドとは、投資信託の一つで、日経平均株価、ニューヨークダウなどの指数に連動するもの)はなかった。

アメリカで一般向けのインデックスファンドが登場したのは1970年代半ば。日本で低コストの国際分散したインデックスファンドが大手から誕生したのは2008年前後だ。

投資信託よりも個別株式をやるのが主流で、父はホンダ、三菱銀行(現三菱UFJフィナンシャル・グループ)といった大企業の株をずっと持っており、実家の住宅ローンの頭金は株の売却益で支払ったという。

子供のころには会社四季報(上場企業すべての業績情報が載っており、個別株投資家にとって重要な分厚いデータ集)が家に転がっていた。また、母も父の影響で大企業の優良株をながらく保有していた。このため、株式投資に対する忌避感が我が家にはなかった。

しかし自分が投資することは特に考えていなかった。

社会人になると贅沢に興味がなく、自分なりに飲みや遊びに行っているつもりでも資産は徐々にたまっていった。

300万の元手が2000万に

入社後しばらくは地方で働いていたが、29歳のときに東京本社に戻ってきた。そのときは300万円ほど預貯金があった。最近のSNSでは20代で1000万円、2000万円の資産を持つ人がごろごろいるが、当時は独身だったし、自分としては満足のいく資産だった。

そのころ、当時の橋本龍太郎総理大臣は「日本版ビッグバン」という政策を盛んにPRしていた。宇宙の爆発や韓国の人気グループのことではない。

1980年代にイギリスのサッチャー政権が行った金融業界の自由化を「ビッグバン」と呼び、日本でも護送船団、横並びといわれて規制でがんじがらめになっていた金融行政を変えようというものだった。各種手数料の自由化、個人のFX取引の開始、ネット証券が認められるなど改革は多岐にわたり、1997年の新語・流行語大賞トップテンに選ばれるほど。

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