山縣有朋の挫折-誰がための地方自治改革- 松元崇著 ~本来の地方自治をむしろ破壊した現行制度
東日本大震災の被災地での人々の穏やかさが世界中から賞賛されたが、本書は、その背景に、江戸時代、あるいはそれ以前から続く日本のコミュニティがあったと指摘する。そのようなコミュニティを土台にしているのが、日本の地方自治制度であるという。
そもそも江戸幕府は、反乱を起こす可能性のある大名の統制には熱心だったが、それぞれの行政には関心がなかった。地域にはコミュニティがあり、その自治に任せていたのである。自治はうまくいっており、だからこそ、大震災の後にも秩序が保たれ、人々が助け合っていたのだろう。
明治になっても、その基本は変わらなかった。しかし、近代国家となり、軍備増強と議会創設を目的として、これまでとは異なる要請が生まれてくる。一つは、軍備増強のために地方から税を吸い上げる必要が生まれたこと、もう一つは、立憲政治のために地方自治が重要とされたことである。
山縣有朋は、早期の議会開設に反対であったが、同時にその必要も認めていた。山縣は、地方議会は、住民の身近な問題を議論することから、地方名望家が政治に慣れ、やがて国政に進出することによって、安定した議会政治をもたらすことになると考えていた。そこで地方レベルから議会を開設し、やがて全国レベルの議会を開設することとしていた。