「102歳の薬剤師」今も"週6勤務"を続ける深い理由 夫の事業失敗、30歳で開業…予定外でも幸せな人生

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子どもたちとゆっくり遊ぶ時間ができ、お手伝いさん任せだった幼稚園の送り迎えもできる。ミシンを買って、不器用ながら洋裁の本を見ながら子どもの服を作り、小学校時代に習っていたお琴の稽古も復活させる。

幸い、持ち家は残ったので家賃はいらないし、少しばかりの蓄えもある。この先のことは一家の大黒柱たる夫がなんとかしてくれるものと思っていたので文句も言わなかった。

1年ほど過ぎたある日、またしても突然、夫がこう言った。

「友だちが、あんたの奥さんは薬剤師の免許を持っているんだから、薬屋さんでもやったらどうだって言うんだけど、やる?」

興味を惹かれ「やりましょう!」と即答してからの行動は早かった。自宅を売って開業資金を作り、現在の土地付きの店舗兼自宅を購入。幡本さんは薬学専門学校時代の同級生が営む薬局に見習いに行き、開業に備えた。

幡本圭佐さん
70年以上前からこの地に建つ「安全薬局」(東洋経済オンライン編集部撮影)

30歳で「安全薬局」を開業

1952年、幡本さんが30歳の年に「安全薬局」が開業する。ここから幡本さんの仕事人生が始まった。女学校時代に父が描いてくれた通りの薬剤師の道である。傷薬から腹痛、頭痛、風邪薬などスタンダードな市販薬を取り揃え、石鹸や洗剤などの家庭用雑貨も並べた。

住宅街で近所に雑貨店がなかったこともあり、雑貨はよく売れて町の薬局として覚えてもらえるようになり、商売は繁盛していく。雑貨や薬の配達も始めて従業員を増やした。

開業から十数年、薬局の経営が安定してきた頃、幡本さんは薬学専門学校の先輩に勧められて、世間ではあまり知られていなかった漢方の勉強を始める。学ぶほどに漢方の奥深さを実感した。

安全薬局
店の一角に設けられた調剤室(東洋経済オンライン編集部撮影)
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