会社擁護で炎上「フジ男性アナ」に私が同情する訳 注意不足だが、彼も今回の騒動に巻き込まれた側だ
いまフジテレビに問われているのは、「『楽しさ』の代償として生まれた『軽薄さ』」だ。フジは1980年代に「楽しくなければテレビじゃない」を掲げ、バラエティー番組を中心に大躍進した。
しかし40年近い月日の中で、視聴者のニーズは多様化していった。いまやネット配信にも「楽しい」コンテンツがあふれている。
彼もまた、今回の騒動に巻き込まれた側である
フジテレビのバラエティー番組といえば、出演者やスタッフの「内輪ノリ」が特徴だった。制作陣の共犯関係を、視聴者にも広げることで、予定調和による「お約束」の楽しさを演出するスタイルが、視聴者にウケていた過去は確かにあった。
しかし、番組制作の原動力となった「ノリの良さ」は、コンプライアンス意識の高まりや、マスメディア批判の中で、ネガティブな「軽薄さ」へと認識が変わっていった。そして、ジャニーズの性加害問題により、あらゆる事柄で人権尊重が前提となったことで、認識は固定化した。
そうした視聴者の印象があるため、酒主アナの発言は、残念ながら「軽薄さの上塗り」と認識されている。SNS上では、彼を「フジテレビ腐敗の象徴」のように扱い、攻撃する投稿が絶えない。
ただ、繰り返すが、酒主アナもまた、今回の騒動に巻き込まれた側であることを忘れてはならない。
目立った1人だけをバッシングしても、物事の本質は変わらない。むしろ「身代わりができた」と、ほくそ笑んでいる人物がいるかもしれない。そうした疑念を持たれないためにも、一刻も早くフジテレビは「企業としての情報公開の場」を設けなくてはならない。
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