限界集落の廃校で絵を描き続ける85歳彼の人生 活動資金は年金・絵の売り上げ・入館料
「私の場合は、下書きはせず一気に筆を動かすんです。下書きをするときれいに描くことを意識するから筆が動かなくなるんですよね。躍動感があって生きてる感じを描きたいから、筆と体を一体化させて筆先にすべてを任せる形で描いています」
工藤耀日美術館の一番の見どころは“女神館”と称される体育館だ。壁や天井全体がビッシリと絵で埋め尽くされた、想像を超える世界が広がっている。
「体育館全体を一つの芸術作品にしたい」と制作に着手。壁一面には波と女性、樹齢2000年ともいわれる山高神代桜を描いた地上界が表現され、天井には縦24メートル、横14メートルになる天界が描かれている。天界から見下ろす龍の眼差しに圧倒され、地上界を躍動する女性の表情や姿にも惹きつけられる。
体育館ではベートーヴェンやモーツァルトのクラシック音楽が流れており、荘厳な音楽も相まって、どこか不思議な世界にワープしたかのような錯覚に陥ってしまう。
着手から10年間籠もり続けて描いた、まさに工藤さんの絵の集大成である。
この工藤さんの迫力ある絵の世界観はいかにして形作られたのか、画家人生を聞かせてもらった。
47歳、絵の道を求めて放浪の旅へ
工藤さんは1939年、北海道の利尻島に生まれた。父親は仕立て屋をしていたという。
絵の道に目覚めたきっかけは中学生のときに教科書で見たゴッホとピカソの絵だった。20歳で武蔵野美術大学に進学して油絵を専攻。卒業後は大学の助手を務め、その後は独立して千葉にアトリエを構えながら絵の活動を行っていた。35歳で発表した油絵『私の家族』で名を上げ、この絵は第三文明展の大賞を受賞。
岡本太郎とも交流を持ち、数々の個展を開くなど油絵の世界では名の知られた画家となっていった。
そんな工藤さんの画家人生は、ある言葉がきっかけで一変することになる。武蔵野美術大学の名誉校長・名取堯(なとりたかし)が語った「本当にいい芸術作品は、その裏に宗教か哲学がある」というフレーズだ。
宗教か哲学。それがなければいい作品はできないのではないか。そこで工藤さんは聖書やコーランなどの聖典を読み、古今東西のさまざまな宗教・哲学を学ぶようになった。勉強を重ねていく中でとりわけ仏教に感銘を受けたことから、47歳のタイミングで日本を飛び出し、チベットやインドを放浪した末に中国にたどり着き、そこで18年間過ごすことになった。
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