大阪が世界に誇るバリアフリー先進都市である訳 ハード面でもハート面でも体現するDE&I
また、世界最高水準のパラアスリートの姿に世界中の人が心を震わせました。彼らが発する猛烈なエネルギーや驚異的なパフォーマンスに圧倒され、障害者に対するイメージが変わった人も多いはずです。
実際に、東京オリンピック・パラリンピックの前後で、DE&Iに対する意識が大きく変化したという調査結果もあります。大阪・関西万博でさらにまた一歩、前進することは間違いないでしょう。
実は日本には、世界に先駆けてバリアフリーを実現し、発信してきた歴史があります。1970年に大阪万博が開かれた際、日本のあるバリアフリー設備が世界の注目を集めました。それは視覚障害者の歩行を助ける点字ブロックです。岡山県出身の発明家、三宅精一さんが発明し、1970年には旧国鉄阪和線の我孫子町【あびこちょう】駅に鉄道の駅としては初めて設置され、全国へ広がっていきました。
海外から訪れた人たちは、きっと驚いたはずです。視覚障害者が一人で安全に移動できること、突起物を並べて危険地帯と安全地帯を分ける発想。そのどちらも、当時の世界では他に類を見ないものでした。
現在では、150カ国を超える世界中の国で点字ブロックが設置され、視覚障害者の社会参加を後押ししています。万博がその一つのきっかけになったことを、私は日本人として誇らしく感じます。
ハードもハートも先端を行く大阪
大阪は世界に冠たるバリアフリー都市です。地下鉄谷町線の喜連瓜破【きれうりわり】駅に、日本の地下鉄で初となるエレベーターが設置されたのは1980年。駅にエレベーターを設置するという発想そのものが一般的ではなかった頃でした。
さらにさかのぼること半世紀、1931年には、明治維新の混乱で消失した大阪城天守閣の再建にあたってエレベーターが設置されています。文化的価値が高い城跡へのエレベーター設置の是非については、現在でも意見の分かれるところです。しかも、今ほどバリアフリーに対する理解が進んでいない90年前の判断であることを考えれば、実に思い切った施策といえるでしょう。
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