医局に入らないことを決めた医師の"その後" 辞める前に知っておくべき「リスクとリターン」

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でも、最後に決定する時は、僕は誰にも相談はしなかった。人に決めてもらったら覚悟が弱くなるからね。

現実は努力で捻じ曲がった

その結果、どうなったか?

果たしてそれから16年が経った。

僕は、最初の5年くらいは「なんでも人の3倍やろう」と決めた。2倍じゃ、抜きん出ることはできない。1日は24時間しかないから、僕は人の倍のスピードでやり、さらに人の倍の時間をかけた。手術の練習も、同僚が1時間やるなら僕は2時間、という具合だ。

自分の外科医としての技術を評価することは簡単ではないが、おそらく僕の技術は抜きん出ていると思う。厳しい環境で人の3倍を続けたのだから、当たり前だと思っている。

僕は外科業界の「超重鎮しか手術教科書を出さない」慣例を破り、42歳という若さで手術の教科書を出した。今もまた次の手術教科書を作っている。

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僕は階段を駆け上がった。賭けに勝ったのだ。僕は合格率24%の手術ビデオ試験に最速で合格した。現実は僕の努力で捻じ曲がったのだ。

でも、決して偉そうにしちゃいけない。

僕を教えてくれた外科医や多くの人に助けてもらってのことだ。神輿に担がれていることを忘れてはならない。

僕はいただいた技術を目の前の患者さんの手術をすることで還元し、同時に全国の外科医の教育のために教科書を書いたり講演をしたりしている。加えて、医局に入り、地道に地域の医療に身を捧げながら外科医として踏ん張る医師たちを心から尊敬している。僕みたいな利己的な人ばかりでは、この世界は成り立たないのもまた事実である。

中山 祐次郎 外科医

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なかやま ゆうじろう / Yujiro Nakayama

1980年神奈川県生まれ。鹿児島大学医学部医学科卒業後、都立駒込病院、福島県高野病院院長、総合南東北病院外科医長を経て、湘南東部総合病院外科に勤務。2023年、福島県立医科大学で医学博士。21年に京都大学大学院医学研究科で公衆衛生学修士。専門は大腸がんや鼠径ヘルニアの手術、治療、外科教育、感染管理など。資格は外科専門医、消化器外科専門医、がん治療認定医、ロボット手術プロクター(指導者資格)。小説『泣くな研修医』(幻冬舎)はシリーズ57万部を超えるベストセラーに。著書に『医者の本音』(SBクリエイティブ)、『俺たちは神じゃない 麻布中央病院外科』(新潮文庫)、『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと』(幻冬舎)など。二児の父。

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