義務教育標準法の計算式を思い出してほしい。学級数だけを変える改革では不十分であり、乗ずる数の改善こそ、教員の授業準備時間や休憩するゆとりを取り戻す上では不可欠だ。
だが、少人数学級の話あるいは給食費無償化などの話題に比べて、乗ずる数のことや標準法の仕組みはややわかりにくい。新聞やテレビなどのメディアもあまり取り上げようとしない。おそらくそうしたことも影響して、国会議員の関心としても、文科省の政策上の優先度としても、ここ数十年あまり高まってこなかった。
もっとも、近年は小学校での教科担任制を一部導入する動きもあり、文科省もまったく無策であるわけではない。だが、一部教科担任制の導入は加配定数といって、将来も確約された教員数確保ではないし(毎年の予算折衝が必要)、冒頭で紹介したデータのとおり、まだまだ過酷な事態は続いている。
教員不足が深刻化する中「人手不足なのに、標準法を変えたところで、教員数は確保できないでしょ」と思う人もいると思う(きっと財務当局にはそう言われる)。確かにその心配はもっともだが、2点申し上げておきたい。
1つは、急激に進む少子化の中で、「学級数×係数」という算定式のうち、学級数は減っていく(特別支援学級の増減など別途考える事情もあるが)ので、中長期的には必要教員数はダウントレンドである。つまり、乗ずる数の改善をしても、急に教員採用を大幅に増やす必要性は薄い。
もう1つは、因果関係が逆である可能性だ。ここで述べてきたような過密労働を放置し、あるいは1年目の4月当初から重責の学級担任を負わせているような体制を維持してきたから、教員を目指さない人が増え、人手不足が拡大している可能性もある。
あちこちで人手不足の日本社会の中で、学校にばかり人をよこせ、と言いたいわけではない。だが、10年先、20年先の社会を支える今の子どもたちの学びやケアに直結するのが、今回述べた教員数の話であり、教員の勤務環境の問題だ。勤務時間の中で、しっかり授業準備ができ、多少コーヒーブレイクくらいとれる。そんなことを当たり前にしていくことは、高望みなのだろうか?
・山﨑洋介・ゆとりある教育を求め全国の教育条件を調べる会『いま学校に必要なのは人と予算―少人数学級を考える』新日本出版社
・トッド ローズ『平均思考は捨てなさい──出る杭を伸ばす個の科学』早川書房
・妹尾昌俊・工藤祥子『先生を、死なせない。――教師の過労死を繰り返さないために、今、できること』教育開発研究所
(注記のない写真:Fast&Slow / PIXTA)
執筆:教育研究家 妹尾昌俊
東洋経済education × ICT編集部
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