60代半ば、都心から郊外へ「美学ある」団地暮らし 人生のアップダウンを経てたどり着いた「部屋」

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「夫に『会社を作るから、イタリアに行ってくれないか』といわれて。私もイタリアが好きだったので、彼をサポートするために3年ぐらいミラノに住んで、経営に携わっていました。

日本に戻ってから一瞬、デザイン会社に戻ったのですが、結局夫の会社が忙しくなってしまって、20年ぐらいその会社のマネジメントをしていましたね」

転機が訪れたのは2000年代、重松さんが50歳の頃だ。

「50歳のときに会社経営の失敗、そして離婚。仕事も家もお金も失って、それ以降はずっとひとり暮らしです。

働きながら53歳から中小企業診断士の勉強を始めて、大学院にも通い、59歳で中小企業診断士とMBAの資格を取得。今は商品開発アドバイザーの仕事や中小企業診断士として、さまざまな会社のコンサルタントの仕事をしながら、大学院で中小企業診断士の養成課程の講師をしています。

いろいろなことがありましたが、過去の失敗経験が、中小企業診断士としての仕事に役立っています」

部屋のグリーン
商品開発アドバイザーとして働く企業のスタッフからもらった、引っ越し祝いのコンテナとスタンド。「グリーンの水やりの時、周囲が濡れない優れもの」(撮影:梅谷秀司)

日本のバブル期はビジネスチャンスに満ちた時代だった。その経験によって得たノウハウは、不況によって経験値を上げる機会が得がたい現代において、貴重な資産でもあるだろう。

「そうかもしれません。でもチャンスは探せばどんな時代にもあると思っていますし、後輩やアドバイスする人たちにもそう伝えています。

私自身も70歳になったら、また別のことにチャレンジしたいんです。手先を使う仕事をしたいので、1年間織物の学校に通うつもりです」

重松さんの話し方はテンポが速く明晰(めいせき)だ。「新しい挑戦をしていると、未来への不安なんて感じる暇がない」とのこと。明確な目標を持ち、年齢を重ねても進むべき道を確実に歩んでいることが、その語り口にも滲み出ている。

自分らしさが映える、白い部屋

68歳になっても仕事に旅にとアクティブに活動する重松さん。自宅で寛ぐときにどのような過ごし方をしているのだろう。

「料理を作ったり裁縫をしたりしているときが、一番楽しいですね。手仕事をするのが好きなんです。

昔から定期的に人を招く『ご飯会』をしていて、料理をふるまうのが楽しみ。裁縫に関しては特に機織りに凝ってます。仕事でもテキスタイルのバイイングなどをしているので、さらにその分野の技術や知見を深めたいと思っています。

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