ドクターイエロー、どこに行けば「会える」? 「幸せの黄色い新幹線」の舞台裏
東海道新幹線の開業直後から「検測車・試験」車両は走っていた。国鉄時代の1979年に登場した3代目試験車の922形T3編成は0系新幹線電車をベースにした「電気軌道総合試験車」といわれ、黄色いボディにブルーの帯をまとった電車だった。
さらに1982年の東北・上越新幹線の開業当初に活躍したのが200系電車をベースにしたS1、S2試験電車であった。この電車は黄色いボディに東北新幹線の200系のシンボルカラーであるグリーンの帯をまとっていた。この両車と0系ベースのT3編成を新幹線のお医者様、すなわちドクターイエローと呼ぶようになったのだ。
国鉄分割民営後に発足したJR東日本は、S1、S2をEast-iと言われる試験車両に置き換えた。色も黄色から白と赤をベースに変わり、JR東日本からドクターイエロー神話は消えていった。
東海道・山陽新幹線では2001年から700系をベースに開発された時速270km対応の7両編成のT4(JR東海)、ついで2005年にはT5(JR西日本)編成がデビューした。当時700系は「カモノハシ」と呼ばれ、その独特のスマートな流線型が、ドクターイエローの人気を不動のものにした。JR西日本所属のT5編成も東京をベースに運用され、メンテナンスもJR東海の手によって行われている。また、この新型ドクターイエローの登場によって0系タイプは引退し、現在は「リニア・鉄道館」(愛知県名古屋市)に保存されている。
安全運行に必要不可欠な存在
ドクターイエローは基本的には一般乗客は乗ることができないし、機器類の細部も公開されていない。
私はドクターイエローT4編成がデビューした2001年に走行中の試運転電車に同乗取材することができた。東京駅に姿を現した700系タイプのボディラインとまばゆいばかりの黄色いボディは衝撃的だった。
この日は横浜を出ると名古屋までほぼ時速270kmでノンストップ運転。車内でレクチャーを受けたあと、コンピューターなどの機器を見学。現在はより良いIT機器が搭載されているが、それでも機器類や液晶モニターは当時としては新鮮なものだった。
観測ドームといわれる屋根に突き出たガラス張りのドームからのパンタグラフと架線の状態を見た。架線が正しい位置にあるか、摩耗していないかを走行しながら測定しており、それがテレビカメラなどでデータとしてリアルタイムに、車内の測定台へ表示されるようになっている。
また小さな不具合があった時には要注意データとして取り扱い、指令所へほぼリアルタイムに転送される。早ければ当日、終電後の深夜にメンテナンスされるという。定員1323名16両編成の電車が3~5分間隔で走るという、世界に例を見ない運行を行う新幹線の安全にはドクターイエローは必要不可欠の存在なのである。
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