日本人だけが8月15日を「終戦日」とする謎 各国の思惑で終戦日はこんなにも違う!

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当然のことながら、日本においても天皇の命により、全権大使が署名した降伏文書により、国家として公式な正式な終戦は9月2日の降伏調印の日となる。これを受けて、占領が行われ、日本国憲法が制定された後、サンフランシスコ条約で国際社会に復帰する……という流れになる。

ソ連時代と日付が異なるロシアの「終戦記念日」

われわれ日本人は、1952年9月2日、サンフランシスコで行われた講和条約の締結で、日本は正式に独立国家になったと学校で習った。そして世界中の国々との対等な関係が成立したことになっている。ではこの日を期に、各国との戦闘状態が正式に終了したのかというと、事はそんなに単純ではないのだ。

サンフランシスコ講和条約には、主要な敵対国の中で中国とソ連が参加していなかった。そのため日本はそれらの国々とは別個に条約を交わさなければならなかったのだ。

中国(中華人民共和国)とは1972年に国交を回復し、日中共同宣言を通じて正式に戦争状態を終わらせた。しかし、北方領土問題を抱えたソ連とは1956年に日ソ共同宣言を交わし、両国が国会で批准した条約扱いになっているが、いまだに平和条約は結ばれていない。

このような一連の事実からすれば、政治的事情が絡まって交戦国にはそれぞれに終戦記念日があり、この日が全世界共通の決定的な終戦の日とはなかなか言えないのが実情だ。

例えばソ連。この国ではソ連時代とその後のロシアになってからと、終戦記念日が変わっている。ソ連時代では降伏調印翌日の9月3日を対日戦勝記念日としていた。

ソ連は1945年8月9日に対日戦を開始。降伏調印が行われている9月2日に、北方領土の歯舞島攻略作戦を発動している。そして5日に千島列島全島の占領を完了させた。そのため、日本への侵攻作戦実施中の9月2日を戦勝記念日とは言えなかったのである。

かといって、ソ連を含む連合国が調印式に参加している手前、無視することもできず、とりあえず、翌9月3日に戦勝記念式典を開いて体裁を整えたのである。

その後、またまた政治的な理由で終戦記念日が変わる。ソ連では、戦勝記念式典の開かれた9月3日を正式な対日戦勝記念日と定めていたが、ソ連崩壊後の2010年7月、政権を受け継いだロシア連邦共和国議会が、9月2日を「第二次世界大戦が終結した日」と制定する法案を可決したのだ。

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