井上礼之・ダイキン会長兼CEO--「あかんたれ」が空調世界一、人好き・帰属感・衆議独裁《上》

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この幅の広さが、ダイキンイズムの継承者としての立場を確立した。が、経営者・井上の誕生には、さらに凄絶な修羅場が必要だった。

断崖絶壁の決断 米国工場新設へ

88年12月、ダイキンに大阪府警の強制捜査が入った。2名の逮捕者を出した「ココム違反事件」である。

ココム(対共産圏輸出統制委員会)の規制対象だった、高純度ハロン液を「不純化」処理せず、ロシアへ輸出していた容疑だった。

総務担当役員の井上は批判の矢面に立った。「井上さん来られてんですかね」。株主総会で右翼関係者の怒号が飛んだ。「あの方(井上)が(容疑は)生産過程の過失であり、意図的に行ったものでないと発言しております。いいですか。17回にもわたってですよ、同じミスをするわけないでしょう、これ」。

警察は4~5カ月にわたり、朝から夜まで40人近くの社員を取り調べた。言われるがまま調書にサインし、ノイローゼになる者まで出た。

井上の本当の試練はその後に来た。88年末、化学担当の副社長が辞任すると、後任を命じられたのである。さすがにたじろいだ。「(化学式は)H2Oしか知りません」。山田に怒鳴られた。「アホ。化学事業部は技術者ばっかりや。そんなもん知らんでいい。皆が落ち込んでるのを明るくしたってくれ、それだけでええ」。

化学事業部の災厄はココム違反だけではない。フロンがオゾン層の破壊を招くとしたモントリオール議定書に加え、米デュポン社からフッ素樹脂についてダンピング(不当廉売)提訴(87年)を受けていた。裁定はクロ。最大の米国市場に輸出できなくなってしまった。
=敬称略=

いのうえ・のりゆき
人が好きだから、人の気持ちがよくわかる。自分の方針についてこない人間は徹底して許さない。「トップの私が言うとる、ついてこい」。恐怖政治に見えるこのスタイルに井上の思いやりがある。「議論させ、最後にはこう決めた、問答無用や。意見があかんということと、そいつがあかんということは違いますよね」。

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(前野裕香 撮影:ヒラオカスタジオ =週刊東洋経済2011年10月29日号)

※記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。
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