東電・吉田昌郎が背負った「重すぎる矛盾」 その生涯を追って見えてきたもの<後編>

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しかし、東電の「判断ミス」より罪が重いと思われるのが、規制庁である原子力安全・保安院の「怠慢」だ。2009年9月に、東電から、福島第一原発を8.6~8.9mの津波が襲う可能性があるという試算結果を説明され、その場合、ポンプの電動機が水没して冷却機能が失われることを認識していたが、「聞き置いた」だけだった。

また当時、保安院の耐震安全審査室長を務めていた小林勝氏は、貞観地震(869年に三陸地方を襲った津波を伴う大地震)の問題と原子炉の安全性についてはっきりさせておくべきだと野口哲男安全審査課長に進言したところ「その件は、原子力安全委員会と手を握っているから、余計なことをいうな」と叱責され、ノンキャリのトップで実質的な人事権者だった原昭吾広報課長からは「あまり関わるとクビになるよ」と警告されたと、政府事故調の聴取で答えている。

挙句の果てに、3・11事故の際は、福島第一にいた7人の保安院の検査官は大熊町のオフサイトセンターに移動ないしは逃げ出し、「ラプチャーディスク(ベント配管の途中にある破裂板)をあらかじめ破っておけないか」と的外れな質問などをして吉田昌郎氏を呆れさせ(同ディスクは中の圧力が一定になったとき壊れる)、国費でハーバード・ロースクールに留学した西山英彦審議官は、現場が事故収束に懸命なときに、経産省の若い女性職員との不倫が発覚して更迭された。

「先立つ不孝をお赦しください」

2010年6月、吉田氏は運命の福島第一原発所長として赴任した。3・11事故の際の奮闘ぶりは数多く報道されており、私も『ザ・原発所長』の中で詳しく描いたので、興味のある向きはご一読頂ければ幸いである。

原発が冷温停止する直前の同年秋、吉田氏はステージⅢの食道がんと診断され、11月に入院し、手術と抗がん剤治療を受けた。がんの発症は放射線の被曝とは関係ないとされるが、ストレスが影響していたことは間違いない。

吉田氏の両親が住んでいた霧島高原

2012年7月、銀座で昼食中に脳出血で倒れた。高血圧が持病だったが、降圧剤を飲んでおらず、抗がん剤の副作用で血管が傷んでいたためといわれる。

2度の開頭手術を受けたが、体力が落ちて、がんが全身に転移し、2013年7月9日に亡くなった。亡くなる直前、慶応義塾大学病院の特別病室に見舞いに来ていた80代の両親に「先立つ不孝をお赦し下さい」と謝ったという。

その両親は、吉田氏が亡くなった7カ月後に父親が、1年8カ月後に母親が没している。霧島高原にある家は住む人もなくなり、飼っていた犬の餌の皿が裏手に残されたまま、アジサイが青紫色の大きな花をいくつも咲かせている。

黒木 亮 作家

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くろき りょう / Ryo Kuroki

1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学(中東研究科)修士。銀行、証券会社、総合商社に23年あまり勤務して作家に。大学時代は箱根駅伝に2度出場し、20キロメートルで道路北海道記録を塗り替えた。ランナーとしての半生は自伝的長編『冬の喝采』に、ほぼノンフィクション の形で綴られている。英国在住。

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