――オリジナル版の『ジュラシック・パーク』が公開されたのが1993年。その時はどこで見ましたか?
実は僕の友達が、劇場でポップコーンを売る仕事をしていたんだ。
だから『ジュラシック・パーク』の公開前夜、彼とふたりでプライベートスクリーニングのようにして劇場で見ていたんだ。僕にとっては非常にぜいたくなひとときだったね。
自分の「こういうものが見たい」気持ちを大切にした
――その時は何歳くらいだったんですか?
16歳だった。『ジュラシック・パーク』の公開日は学校が夏休みに入る前だったからよく覚えている。今でも映画館で『ジュラシック・パーク』の世界にのめり込んでいた時の気持ちがよみがえってくるよ。
――その時に見た映画は、自分の糧になりますよね。
16歳の時はすでに映画監督になりたいと思っていたし、実際に自分でも映画を作っていた。だから映画を見る時は、映画ファンの目線で見ていたと同時に、フィルムメーカーの目線でも見ていた。でも本来はできる限り、映画を見る時は映画ファンの視点で見たいなと思ってるんだ。映画を分析するというよりも、ストーリーとして純粋に見たいという気持ちの方が大きいかな。
――低予算で映画を作ってきたトレボロウ監督が、いきなり1億5000万ドル(約186億円)とも言わしめわれる制作費の超大作を作ることになりました。そこでプレッシャーに押しつぶされることなく、やりきることができた秘訣は何だったのでしょうか?
映画ファンだったら誰しも「自分ならこういうバージョンの作品を見てみたい」といったイメージが頭の中に思い描かれているものだと思う。だから「こういうものが見たい」という気持ちを大事にして、そのイメージに自信を持つことが大事だった。とにかく自分を信用するしかない。そうすれば観客も絶対についてきてくれると思ったんだ。
――とはいえ、はたして自分のビジョンは本当に正しいのか。迷ってしまう人も多そうですが。
自分は新人なので、それほど知識があるわけでもない。高度な教育を受けたわけでもない。だから今までやってきたやり方を信じて、自分の勘を信じるしかなかった。
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