「ジュラシック・ワールド」は何がスゴイのか 「これが見たかった!」を大切にした

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コリン・トレボロウ●1976年9月13日アメリカ・カリフォルニア州出身。12歳の頃から映画作りに興味を持ち、その後、ニューヨーク大学で映画作りを学ぶ。ネット配信用短編映画の先駆者で、2012年に監督・製作を務めた『彼女はパートタイムトラベラー』はサンダンス映画祭の審査員大賞グランプリやインディペンデント・スピリット賞の新人作品賞など、数々の賞にノミネートされた。そしてこの作品がスティーブン・スピルバーグとフランク・マーシャルの目にとまり、新人ながら『ジュラシック・ワールド』の監督に抜擢された。

――オリジナル版の『ジュラシック・パーク』が公開されたのが1993年。その時はどこで見ましたか?

実は僕の友達が、劇場でポップコーンを売る仕事をしていたんだ。

だから『ジュラシック・パーク』の公開前夜、彼とふたりでプライベートスクリーニングのようにして劇場で見ていたんだ。僕にとっては非常にぜいたくなひとときだったね。

自分の「こういうものが見たい」気持ちを大切にした

――その時は何歳くらいだったんですか?

16歳だった。『ジュラシック・パーク』の公開日は学校が夏休みに入る前だったからよく覚えている。今でも映画館で『ジュラシック・パーク』の世界にのめり込んでいた時の気持ちがよみがえってくるよ。

――その時に見た映画は、自分の糧になりますよね。

16歳の時はすでに映画監督になりたいと思っていたし、実際に自分でも映画を作っていた。だから映画を見る時は、映画ファンの目線で見ていたと同時に、フィルムメーカーの目線でも見ていた。でも本来はできる限り、映画を見る時は映画ファンの視点で見たいなと思ってるんだ。映画を分析するというよりも、ストーリーとして純粋に見たいという気持ちの方が大きいかな。

(c)ILM / Universal Pictures and Amblin Entertainment

――低予算で映画を作ってきたトレボロウ監督が、いきなり1億5000万ドル(約186億円)とも言わしめわれる制作費の超大作を作ることになりました。そこでプレッシャーに押しつぶされることなく、やりきることができた秘訣は何だったのでしょうか?

映画ファンだったら誰しも「自分ならこういうバージョンの作品を見てみたい」といったイメージが頭の中に思い描かれているものだと思う。だから「こういうものが見たい」という気持ちを大事にして、そのイメージに自信を持つことが大事だった。とにかく自分を信用するしかない。そうすれば観客も絶対についてきてくれると思ったんだ。

――とはいえ、はたして自分のビジョンは本当に正しいのか。迷ってしまう人も多そうですが。

自分は新人なので、それほど知識があるわけでもない。高度な教育を受けたわけでもない。だから今までやってきたやり方を信じて、自分の勘を信じるしかなかった。

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