別府の「超グローバル大学」は何がスゴイのか 留学生が約80カ国から3000人も集まる秘密

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キャンパスを歩く学生たち

今や大分県は、人口10万人当たりの留学生数が京都に次いで全国2位にまで増加した。別府市だけで見ると、人口に占める留学生の割合がもっとも高い地方都市となっている(別府市調べ)。

市内の温泉でも留学生をよく見かけるようになった。APUの是永学長は、「市民と一緒になって留学生活を送ろうと思うと、都会では拡散してしまう。結果論かもしれないが、別府の人口12万人は3000人規模の留学生を包み込むのにぴったり」と指摘する。

糸井重里氏もAPUについてのインタビューで、「昔から温泉街は、傷ついた人やよそ者が逃げ込む場所でもあった。別府という温泉街が、ある種のアジール(聖域、避難所)だから、APUという大学がぬくぬくと育つことができた」と語っている。

教職員が世界に散り、留学生獲得に奔走

ここまでの道のりは、途方もなく長かった。立命館がAPUの開学準備に動き出したのは1995年。ビジョンに掲げたのが、「3つの50」だった。全学生に占める留学生比率は50%、外国籍の教員比率も50%。さらに留学生の出身国・地域50以上を達成するというものだった。開学当初から留学生比率が50%の大学など前代未聞で、さすがの文部科学省も懐疑的だった。

国際色豊かな授業風景

しかし開校前の1997年頃から立命館の教員と職員らが世界中に散らばり、優秀な留学生獲得に向けて人海戦術を展開。A課長がインドネシア担当なら、B課長はタイ、Cさんは中国など、8~10月の夏休み期間を利用して120人体制で600機関超を訪問するという気合いの入れようだった。当初は企業なども訪問先に加えていたが、最終的には進学高校に絞り込んで、欧米の大学に留学を考えている学生たちの獲得に力を注いだ。

その結果、2000年の開校時には計画どおりに留学生が集まった。原動力となったのが、英語と奨学金である。日英二語教育を導入することで、日本語ができなくても入学できるようにした。

さらには理事長を筆頭に日本の大企業を訪問して、APUの存在意義を説いて回りながら奨学金40億円をかき集めた。留学生の大半が奨学金を利用できるようにしたことで、日本とアジア各国との経済格差のハードルを引き下げた。すでに40億円は使い切ったが、現在も優秀な学生獲得のために年間20億円弱の奨学金を準備している。

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