スバル「初代インプレッサ」が残した名声と課題 熱狂的ファンを作るも素直に成功と言い切れず

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ちなみに、まだ「ハリアー」のような都会的な車種はなく、現代のSUV的な用途を考えると、土の香りが強いクロカン4駆かステーションワゴンのどちらになるのであった。

そんなこともあって、インプレッサのスポーツワゴンは、実用的で流行の“ちょっとイメージの良いクルマ”に見られていた。実のところ、このスポーツワゴンがなければ、初代インプレッサの販売は、非常に苦しいものになっていたはずだ。スポーツワゴンを用意したのは、まさに慧眼であったといえる。

販売台数は非常に少なかったが「リトナ」という名のクーペもあった(写真:SUBARU)
販売台数は非常に少なかったが「リトナ」という名のクーペもあった(写真:SUBARU)

当時のスバルの実力がうかがえるクルマ

そうはいっても、インプレッサの販売数はそれほど多くなかった。

1992年の発売から2000年に2代目へとモデルチェンジするまでの販売台数は、年間3万~4万台レベル。年間販売台数ランキングで、上位10位に入ることはなかった。また、兄貴分であるレガシィの年間販売台数、5万~9万台にも及ばなかった。

WRCでの活躍により多くのファンを生み出すことには成功したが(写真:SUBARU)
WRCでの活躍により多くのファンを生み出すことには成功したが(写真:SUBARU)

当時のナンバー1であるカローラの販売は、年間20万台レベル。それと比べると、インプレッサは、“今ひとつ”であったことがわかる。名声こそ集めることはできたが、ビジネス的に大成功だったかというと、少々難しいだろう。

もちろん、WRCの活躍やそれにあわせたSTiバージョンの投入は、注目を集める特効薬になったと思う。しかし、販売を伸ばすには、もう少し違った手が必要だったのではないだろうか。

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当時を知る筆者の印象では、「インプレッサ=めちゃくちゃに速いクルマ」だ。しかし、「デザインが地味で割高。販社も少ない」という認識もあった。決してクルマとしての実力が、ライバルに負けていたわけではない。しかし、結局のところ売れるためには、デザインや価格、販売網が重要だったのだろう。

当たり前の部分に対して、きちんと対応できなかった。それがトヨタや日産、ホンダに及ばなかった、当時のスバルだったのだと思う。

【写真】ベースグレードからSTiバージョンまで初代インプレッサを見る(26枚)
鈴木 ケンイチ モータージャーナリスト 

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すずき けんいち / Kenichi Suzuki

1966年生まれ。茨城県出身。國學院大学経済学部卒業後、雑誌編集者を経て独立。レース経験あり。年間3~4回の海外モーターショー取材を実施。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。

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