そして、空前の好景気に沸き立つバルブ真っ盛りの1989年2月に、スバルは初代「レガシィ」を発売する。
スバルは、このレガシィを使って、1989年1月に平均速度223.345km/hで10万kmを走り切る世界速度記録を達成。また、1990年4月よりWRCへの本格参戦を開始するなど、レガシィの“走り”を大いにアピールした。
ただし、ここで問題が発生する。レガシィは、アメリカ市場を強く意識していたため、レオーネよりもサイズが大きくなってしまったのだ。そのため、リッターカーであるジャスティと、2リッタークラスのレガシィの間が空いてしまう。
ここはトヨタ「カローラ」を筆頭とする、当時の超売れ筋セグメントである。実質的なレオーネの後継が必要となったのだ。そこでスバルが用意したのが、1992年11月発売のインプレッサであった。
インプレッサのメカニズムは、水平対向エンジン+4WDレイアウトというレガシィ譲りのもの。ドアが、窓枠のないサッシュレスであるのも、レガシィと同じだ。サイズはレガシィよりも小さく、4ドアセダンとステーションワゴンの2種類のボディを用意した。
ただし、ここにインプレッサの個性があった。ステーションワゴンは荷室を広くするため、全長を大きく伸ばすのが通例である中、インプレッサのワゴンはセダンと10mmしか違わなかった。
これが意味するところが、「荷室は狭くても走りには有利」ということ。そのためスバルは、この短いワゴンを「スポーツワゴン」と名付けた。
ラリーでの3連覇で高性能イメージを確立
1993年になると、WRCへの参加車両をレガシィからインプレッサに変更。そうしたイメージに合わせるように、インプレッサには高性能版であるWRXグレードを用意した。ベーシックな1.5リッターエンジンの最高出力が97馬力であったのに対して、WRXの2.0リッターターボは、240馬力もの高出力を誇った。
しかも、WRCにおいてインプレッサは、1994年に初優勝を飾り、1995年にはマニファラクチャーズチャンピオンを獲得。さらに1996年、1997年もチャンピオンとなり、3連覇を達成する。
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