知識欲求が棚だとしたら、幼児期に感じる「不思議だなあ」の気持ちは、引き出しだ。引き出しがたくさんあるほど、知識を入れることができる。この棚は引き出しが増えるのに合わせて大きくなっていき、その中にたくさんの知識を蓄えることができる。その棚が小さいままだと、入れられる知識は限られてしまう。
自然の中には、幼児期の子供が「不思議だな」と思うことがあふれている。
「同じ木でも濃い緑の葉っぱと、黄緑色の葉っぱがあるのはなぜ?」
「今日のお月様はどうして半分なの?(うさぎはどこにいっちゃったの?)」
「こないだ、ここにはつららがあったのに、今日はないね」
「木って、燃えるとにおいがするね」
大人にとっては当たり前のことを子どもたちは、いちいち不思議に感じている。そんな気持ちが知識欲求につながる大切な引き出しとなっていくのだ。
そのとき親は?幼児に科学的解説は必要ない
大人にとってあまりにも当たり前なことを不思議がる子どもたち。そのとき親はどうすればいいのか。答えはシンプルだ。「子どもの気持ちに寄り添えばいい。『本当だね』『そうだね、よく見つけたね』と伝えれば十分なのです」(石崎教授)。自分も不思議がって、おもしろがって、子どもと同じ高さの目線を持てば、通園路も身近な公園も違った世界に見えてくる。
男性がやりがちなのは、そこで「月の満ち欠けが起こるのは……」などと科学的説明を始めてしまうことだ。「正しいことを教えなくては」と思うのかもしれないが、幼児期の子どもたちにとっては非科学的なことさえも”本当のこと”。「『月が笑っているね』と言う子どもにとって、それは『笑っているように見える月がある』のではなく、『本当に月が笑っている』のです」(石崎教授)。幼児期においては「不思議だなあ」と思う気持ちを大切にして、後にそれがなぜそうなるのかという知識を得たときに「そうだったのか!」と思える引き出しを作ってあげればいい。
私自身は、この引き出しは大人になっても増やせるのではないかと思っている。大人も自ら当たり前だと思っていることを不思議がってみると、そこから、新たに発見することがあるかもしれない。仕事においても、視点が変わることで現状を打開できたという経験はよくある。目線を子どもと同じにすることが、大人にとってもプラスに働くことがあるようだ。子どもとともに親も育っていける。自然遊びの醍醐味はそんなところにもあるのかもしれない。
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