自衛官としての基礎を学ぶべく、地元の富山県を離れた。
航空自衛隊の教育隊に所属していた3カ月。自衛官候補生の当時は、厳しい環境で「鍛えられた」という。
「朝は6時にラッパの音で起床し、同室の班員に体調不良者などがいるかを確認する点呼がありました。朝食後は、学校のように決まった時間割の『課業』がいくつかあり、夕飯を終えると自由時間になるんです。でも、隊員が多いので次から次へと入浴しなければならなかったりと慌ただしくて、何かあると、同室の隊員と一緒に連帯責任で怒られる緊張感もありました」
自衛隊流「1200」の読み方に慣れて
教育隊を経て、航空自衛隊の自衛官に。
所属した基地でパトリオットミサイルへの給電を担当する役割も任されていたとは、驚く。
有事に備える緊張感と隣り合わせの職場で2年9カ月を過ごした。
「自衛隊時代に身についたことはさまざまです。同室の仲間が連帯責任で怒られないように『10分前行動』を徹底して。今も、気をつけの姿勢で手をグーにしてしまうのも習慣ですし、数字も『1200』(12時)ならば『ヒトフタマルマル』と読むほうがしっくり来て、たまに、グループのメンバーがポカーンとなっています(笑)」
何事も糧になる。自衛隊で必死になっていた当時、身についたことを笑って昇華できるのもそのあらわれだ。そして、現在へ。
アイドルへと転身した話へと続くが、背景には「退職」と「上京」の苦労もあった。
*この記事の続き:航空自衛官を辞めた「アイドル」が手にしたもの
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