「世界一から転落」日の丸半導体を殺したのは誰か 業界のキーマンが語る「日米半導体摩擦」の顛末

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ムーアは1965年、集積回路の未来について『エレクトロニクス』誌から論文を依頼され、そこに次のような予測をしたためた。

「少なくとも今後10年間、ICの集積度は、1.5年で2倍、3年で4倍になっていくだろう」

集積度とは、1枚のシリコンチップ上に搭載できる部品の数を表す。つまり集積度が高くなるほど性能は上がる。1975年には「2年に2倍ずつ性能が上がる」と修正され、これらの言葉は、のちに「ムーアの法則」として知られていく。

1968年、ムーアらはフェアチャイルドセミコンダクターを離れ、インテルを創業する。

2年後に最初の製品として発売したのが、世界初の「ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ(DRAM)」だ。

それまでコンピュータは「磁気コア」と呼ばれる、金属のリングをワイヤーでつないだものでデータを記憶していた。ただ、磁気コアの容量アップには限界があった。

そこで、例の集積回路を使って開発された記憶装置がDRAMだ。電荷をためる機能を持つコンデンサという部品とトランジスタをつないで記憶素子(メモリセル)を構成している。記憶素子に電荷が蓄えられた状態を「1」、蓄えられていない状態を「0」としてデータを記憶する。DRAMは、現在でもコンピュータのデータ保存を担う重要な半導体(メモリ)である。

DRAMで躍進した日本

トランジスタが発明された1948年といえば、日本はまだ、敗戦からの復興にもがいていたころだ。そんな中、アメリカ政府は、日本にトランジスタを使った製品を開発させようと支援した。

その一例がソニー(当時は東京通信工業)である。WE(Western Electric)社からトランジスタの製造特許を取得して製造した「ソニーラジオ」は、安さと性能からまたたく間に世界を席巻した。自社でトランジスタを製造し、ラジオをつくったのはソニーが世界最初だった。シャープ(当時は早川電機)が1964年にいち早く電卓に搭載したトランジスタもアメリカ製だ。

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