何が起きたのかは11月14日のページに自ら記している。もちろん後日の筆だ。以下、読みやすさを重視して一部漢字表記を改め、カナ表記をひらがなに代えて、適宜改行しながら引用する。
<岡山県下における陸軍特別大演習陪観のため 午前9時発「燕」号にて出発の間際、8時57分東京駅プラットフォームにおいて 佐郷屋留男(※筆者注:銃撃犯。佐郷屋留雄=さごうや とめお)なる一青年のため、モーゼル式拳銃をもって狙撃せられ 弾丸下腹部に命中重傷を負う>(昭和5年11月14日と15日のページより)
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歴史に残る例の銃撃事件だ。濱口はさらに詳しい状況を後に唯一の自著『随感録』にまとめている。こちらの一部をなす原典の手記『随感随録』も憲政資料室で保管しており、全ページの画像が閲覧できる。主に退院して官邸で療養するようになった昭和6年1月から4月頃までに書かれたようだ。
その激動は普通の疼痛というべきものではなく
<それは列車側にいた一団の群衆中の一人のその下から異様なものが動いて「ズドン」という音がしたと思った刹那 自分の下腹部に異状の激動を感じた。その激動は普通の疼痛というべきものではなく、あたかも「ステッキ」くらいの物体を大きな力で下腹部に押し込まれたような感じがした。
それと同時に「やったな」という頭のひらめきと「殺られるには少し早いな」ということが忽焉(こつえん)として頭に浮かんだ。
以上の色々の感じはほとんど同時に起こったので時間的の遅速は判らないくらいであった。>(『随感随録』の「十一月十四日」のページより)
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この銃撃の現場は現在のJR東京駅の構内にマーキングされており、付近の柱には事件の概要を記したプレートが取り付けられている。
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