無印良品「欧州で破産」報道から見る変化の現実 欧州より東アジア、国内も都会では「飽き」?
ただし、こうした地方出店の際の標準店舗面積は600坪で、これまでの無印良品よりも大きい店舗となっていて、坪辺りの営業利益で苦戦していることも確か。
以上のように、無印良品は近年、都心店舗を中心とする改革、地方への積極的な出店という取り組みを行っているが、まだまだその成果は完全には花を咲かせていない、というところだ。
とはいえ、現在の地方出店戦略には一理ある。なぜなら、「無印」ブランドは特に地方ではまだ集客力を維持しているからだ(少なくとも、集客力がある、と思われている)。
例えば、ヨークベニマルは無印良品との共同出店を頻繁に行っている。共同出店によって若年層の集客が見込めるためだ。
実際、筆者が、那須塩原のヨークベニマルを核テナントとするショッピングモール「ヨークタウン」を訪れた際、そこにある無印良品は非常ににぎわっていた。近隣の「イオンタウン」などがガラガラだったのとは対照的だった。
また、SNSなどで「無印良品」を検索してみると、「うちの街にも無印がやっときた」と投稿している様子なども見受けられ、まだまだ地方では「無印」ブランドが魅力的なものだともいえる。
このように、無印良品は地方においてまだブランド力を維持しているようにも思える。「地方」に根を下ろし、拡大していく戦略は功を奏するかもしれない。
「無印良品」の「ストーリー」としての「地方戦略」
実は、こうした「地方戦略」の強みは、実質的な利益だけではなく、「無印良品」という会社の経営戦略を「ストーリー」として見たときにも、すんなり受け取れるものであり、その点でも、希望があると考えられる。
『ストーリーとしての競争戦略』の著者・楠木健が指摘するように、優れた経営戦略は、それを一つの「ストーリー」として提示することができる。
無印良品は1980年、西友のプライベートブランドとしてスタートし、西武グループの総帥だった堤清二の思想が深く刻みこまれたブランドだった。その思想とは、「ノーブランドというブランド」というもの。当時のハイブランド隆盛の時代に真っ向から対立する、非常にコンセプチュアルな理念だ。
そして、その理念は、商品デザイナーに起用された杉本貴志や小池一子、原研哉といったデザイナーたちの商品デザインも含めて、同社のさまざまな戦略の際を打ち出すときのストーリーの核となってきた。例えば、そのストーリーの一環として、ハイブランドではなく、その土地に根付いた、土着的なものを重視する、という商品開発における姿勢も生まれている。
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