「半導体のプロ」坂本幸雄氏はなぜ中国に賭けたか 「いずれ中国のIC微細化は限界迎える」と予見
4つ目はスウェイシュアだったが、志半ばで病に斃(たお)れてしまった。
李克強首相との会見にも同席
最も復権に近づいたのは紫光時代だろう。コロナ禍で日中間の往来が困難な時期だったが、紫光の趙偉国董事長(当時)に急に北京に呼ばれ、李克強首相(同)との会見に同席したことがあったという。中国は半導体経営のプロが少なく、坂本氏の手腕に期待したようだ。
しかし、その後は政治の風向きが変わったためか、紫光に公的な救済の手が伸びることはなく、趙氏は2022年7月に汚職の疑いで身柄を拘束されてしまった。
坂本氏の中国ビジネスは、共産党・政府との距離感という「チャイナリスク」への挑戦の連続だったと総括できるのではないか。リーマンやコロナという不運もあって、いずれも成功したとは言いがたい。筆者は坂本氏が紫光を離職した後、そうした見方を本人に直接ぶつけ、「山田さんは俺が中国でいつも失敗していると言いたいの」と怒られた記憶がある。
坂本氏を紫光にスカウトし、その剛腕ぶりから「中国の飢えた虎」の異名をとった趙氏についても多くを語ろうとしなかった。しかし、中国の半導体メーカー全般の技術水準など、個人や個社を特定しない問いには答えてもらえた。例えば、中国の半導体産業は現在、米制裁のため最先端のEUV(極紫外線)露光装置を輸入できず、IC(集積回路)の微細化が行き詰まると指摘されている。
答えは「現在の技術の延長線上にいる限り、中国のIC微細化にはいずれ限界が来る」だった。坂本氏は中国企業における自らの役割について、いつか起こる可能性のある技術のパラダイムシフトに対応できるよう、経営基盤を固めることだと考えていたようだ。こうした坂本氏の見立ては、筆者が中国の半導体産業を観察するうえで非常に参考になった。
坂本氏はスウェイシュアでも同じ思いで仕事をしていたらしい。筆者が2023年5月、講演依頼のメールを送ると、「今はベルギーにいるので帰国後に調整しましょう」との返事があった。
半導体でベルギーといえば、IC製造技術の世界的な研究機関imec(アイメック)が頭に浮かぶ。米中ハイテク摩擦や企業秘密に直結しそうなのであえて確認しなかったが、スウェイシュアでも使える技術を探りに行ったのではないか。
帰国した坂本氏からは「この年になると17時間のフライトは疲れますよね」とのメールが入った。坂本氏はかねて海外出張もエコノミークラスで往復し、経費を少しでも節約することを経営者としての信念としていた。ベルギー往復もエコノミーの乗り継ぎだった可能性がある。当時75歳の身体には大きな負担だっただろう。
日本にとって中国ハイテクの台頭は安全保障上のリスクでもあり、中国企業に協力する人を「裏切り者」扱いする向きがあるのも理解できる。しかし、坂本氏は個人の損得ではなく、経営者としてのプライドを賭けて中国に身を投じていた。筆者には責めることができなかった。意見交換できる日が二度と来ないのは残念で仕方がない。心からご冥福をお祈りする。
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