TSMC創業者とソニー会長が熊本で明かした秘話 ソニー盛田氏の言葉とTSMC日本進出の第一声
斎藤健経産相に甘利明氏や萩生田光一氏といった有力政治家が来熊。ソニーグループの吉田憲一郎会長CEOやトヨタの豊田章男会長をはじめ関係企業のトップもズラリと並んだ。
その中でもひときわ注目を浴びたのが、TSMC創業者のモリス・チャン氏だった。
同氏は1931年生まれで御年92歳。アメリカの大手半導体メーカー・テキサスインスツルメンツ(TI)の副社長を務めた後、1987年にTSMCを創業した。2018年に引退するまで約30年にわたってTSMCを率いた、まさに立志伝中のカリスマ経営者である。
開所式のセレモニーが行われるホールには、政府関係者や各企業のトップがそれぞれのタイミングで入場し着席。最後に入場したのがモリス・チャン氏だった。ゆっくりと会場前方の扉から歩いて姿を見せると、場内からは大きな拍手が巻き起こった。
そしてモリス・チャン氏の口から語られたのは、JASMのパートナーとして重要な役割を果たしたソニーとの50年以上前のなれ初めだった。
盛田氏が話した「日本の工場」の特長
同氏が初めて日本を訪れたのは1968年。当時世界トップの半導体メーカーだったTIの副社長としてだった。そこで会ったのがソニー創業者の1人、盛田昭夫氏だ。
「ソニーとの合弁事業を行うため、盛田氏を訪問しました。記録を見ると、そこで2時間のミーティングをしていました。当時、盛田氏はすでに伝説的な人物で私より10歳も年上でしたが、非常によく接していただいた」
今でもよく覚えている、と言って切り出したのはこんなエピソードだった。
「『あなたはいい意味で、日本での工場のイールド(歩留まり)に驚くだろう』と(盛田氏は)言っていました。合弁で1973年に鳩ヶ谷工場(埼玉県)、それから大分県の日出に工場を設立しましたが、そのイールドの高さには本当に非常に驚いた」
モリス・チャン氏はその後TIを退職し、1985年に台湾の研究機関である工業技術研究院の院長に就任している。話はTSMCの創業につながっていく。
「1985年に台湾に行ったとき、日本と台湾は文化や人材の能力という点で似ているということに気がつきました。そこで、半導体製造に特化するファウンドリー(受託製造会社)を作ろうと思ったのです」
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