「働かない若者」は本当に日本だけの現象なのか? 日本とアメリカにおける「静かな退職」の比較
Quiet Quittingについても、そのような解釈が可能だ。事実、先に上げた主要ジャーナルには、Quiet Quitterに対する批判的な意見が多数登場する。
「努力は若者の権利であり社会に対する義務でもある」、「がんばらない姿勢は現実逃避に過ぎず、仕事の不満や燃え尽きに対する万能薬ではない」、「ただ単に怠惰を正当化し助長するのみ」、「本当に休息を必要とする人もQuiet Quitterと思われてしまう」、といった具合だ。
そして、読者の皆さんも記憶に新しい、ツイッター社(現X社)を買収したイーロン・マスクが従業員に送ったとされる次の文も、Quiet Quitterへのアンチテーゼと言えるだろう。
(ますます激化する競争の中で成功するためには、極めてハードコアであることが必要だ)
この先、この対立した構図がどのように進むのかを予想するのは難しいが、しばらくは共存していくだろう。
すでに「静かな退職者」だらけの日本
ここまで、アメリカを中心としたQuiet Quitting VS.ハッスル文化の構造を見てきた。ここからは、これを長い前置きにして、日本社会と対比してみよう。
このQuiet Quittingという思想、日本人である我々は、わざわざ面白がって学ぶ必要などないかもしれない。すでに一定の読者の皆さんはお感じのことだろう。何のことはない、Quiet Quittingこそ日本文化になりつつある。
「いい子症候群の若者たち」の実像と、アメリカ発のQuiet Quittingという概念は、大部分において重なるところがある。特に整合性が高いのが「自らはアクションを起こさず、指示待ちに徹する」という姿勢だ。
さすが課題先進国ニッポンだ。アメリカで最近話題になった現象を、何年も前から先取りしている。
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