羽田衝突事故、鉄道・バス各社「臨時運転」の舞台裏 運転士手配から関係各所の連絡まで連携プレー
2024年1月2日、東京の羽田空港で大きな事故が発生した。着陸した新千歳空港発のJAL機が、離陸を準備していた海上保安庁の航空機と、滑走路上で衝突した。JAL機の乗員乗客は、速やかに脱出し全員無事だったが、海上保安庁の乗員6人のうち5人が死亡した。
年始の繁忙シーズンということもあり、空港は大パニックとなってしまった。滑走路が閉鎖され、この日は事故直後から、国内便のすべての出発便が欠航となった。また到着機はダイバート(着地変更)となり、近隣の中部国際空港、成田空港、茨城空港に向かった。
東京へ向かう移動手段の確保が問題に
あまりに突然の出来事だったが、各空港はダイバートを受け入れることができた。しかし、問題はそこから東京へ向かう移動手段の確保だった。
到着を予定していた羽田空港との距離は成田空港で約60km、茨城空港で約90km、中部国際空港で約280km。いちばん近い成田空港でも60km近く離れた場所にあるので、着地先からの移動手段の確保が必須である。
羽田空港で衝突事故が起きたのは、17時47分。そこから着陸予定の航空機はダイバートを行ったわけだが、茨城空港へ向かったスカイマーク2機が到着したのは、18時30分頃。そこから鉄道などを利用して都心に向かうと、かなりの時間がかかってしまう。また、中部国際空港や成田空港到着の便も、新幹線や在来線を乗り継いで、東京へ向かい、さらに自宅までたどり着けるか、やはり心配である。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら