教育に対するもうひとつの否定的な見方は、教育とは人間を近代の産業資本主義の生産単位にするためのものだという考えだ。SF作家で未来学者だったアルビン・トフラーは、「大衆教育は、産業主義が必要とする大人を生産するための精巧な機械だった。それには組織化、個別性の欠如が効果的な手段とされた」と述べた。
このような批判は工業化時代から脱工業化時代に移行してもなお教育につきまとい、今では次のように表現されている。単純作業化が進み、人はオートマタ(自動人形)として仕込まれ、いずれ技術の進歩によって不要になるまでその仕事が続くのだと。
成果主義のプレッシャー
また、教育が持つ、達成しなければならない、順応しなければならないという側面は精神的プレッシャーの一因になり、誰もが耐えられるわけではない。韓国を見るとそれがよくわかる。韓国は教育を大きなバネとして、以前には考えられなかったほどの繁栄を遂げたが、成果主義の教育制度はこの国の若者たちを大きな不安に陥れた。
誰もが一流大学を目指すことを求められ、競争率の高い入学試験を突破しようと必死になるからだ。ストレスを感じている生徒は86パーセントに上り、休みを取ると罪悪感を覚えるという生徒が75パーセント近くいて、夜は11時まで勉強するのが普通だという。
ある生徒は、「友達がどうしているのか気になっちゃうんです。それで、友達ががんばっているのに自分がやってないとうしろめたくなって、もっと勉強しなくちゃと思うんです」と言っている。韓国の自殺率はOECD加盟国のなかでもっとも高く、10代の自殺率は世界でもっとも高い。
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