「グローバル・ローカル・国民国家」という難問 「自由と平等の衝突」の解決に必要な「惻隠の心」

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著者は現在の世界情勢を、世界の「国民国家の再強化」という視点で語ります。それはポスト・グローバル世界をどのように考えるかという問題とも関わります。まったく予想だにしなかった、2020年以降の新型コロナウイルスの世界的大流行によってその医療的コントロールを国家がしなければならなくなったり、ロシアがウクライナに侵攻することでむしろ国民国家としてのウクライナの団結が強まった。この現象は著者にも意外だったようで、以下のように述べています。

だいぶ前から、「国民国家」という政治単位が国際政治の主たるアクターである時代はそろそろ終わりだと思われていました。経済活動のグローバル化が進行して、クロスボーダーで商品、資本、情報、人間が移動することが当たり前になっていました。それと同時に、気候変動にしても、このパンデミックにしても、人口減少にしても、単立の国民国家では手に負えないものになってきていたからです。人類はトランスナショナルなスキームで問題に向き合わないと手が出ないほど大きな問題に直面している。だから、いずれ国民国家が基礎的な政治単位である時代は終わるのだろう、僕はなんとなくそう思い込んでいました。でも、それはいささか先走りであることをコロナとウクライナで思い知らされました。(16頁)

リベラル派の「誤解」

著者にとって、すでに終わったはずの国民国家が復活してきたのです。グローバル化が進み国民国家がなくなる。これは「自由」を重んじる進歩的なリベラル派には、一般的には「いいこと」だと語られてきたと思います。

しかし現状では社会に格差が広がり、特に相対的貧困率はこの50年間で上昇し、6~7人に1人が相対的貧困状態に陥っているという調査があります。

周知のように、日本が国民国家になったのは明治時代になってからのことであり、西洋の各国と比べると後塵を拝していました。西洋の多くの国民国家は宗教性を排することで「国民」を創造した一方で、後発の国民国家であった日本は天皇を頂点に据えてトップダウンの国家づくりを行いました。日本は、西洋列強から自国民を守るために国家を急ピッチで作り上げたのです。

だから基本的に、日本人にとって国家とは自分たちを守ってくれる存在です。しかしアメリカにとっての国家は違います。アメリカでは、市民一人ひとりが社会を作るものであり、国家は自由を阻む必要悪であるという認識なのです。そのアメリカ的価値観が日本に流入すると、グローバリズムとローカリズムの対立になります。著者はトヨタ自動車の例を取り上げ、以下のように述べています。

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