「グローバル・ローカル・国民国家」という難問 「自由と平等の衝突」の解決に必要な「惻隠の心」

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アメリカについていってもダメなんじゃないか。このあたりの感覚はみなさん同様なのではないかと思います。ではどうすればいいのか。僕たちは何をモデルに生活を組み立て、自己形成を志していけばいいのでしょうか。

このような過渡的な時期こそ、物事の本質、つまりトレンドには乗りにくいけれど、短期間では決して変わらないものを見据えながら日々を送る必要があります。その「変わらないもの」こそが、本書で説かれている「地政学上の立地」です。日本が中国大陸のすぐ東側にあることは、文明の発祥以来変化していない事実です。一方、アメリカは太平洋を挟んだ遠く向こう側にあります。

グローバルとローカルの折り合い

社会経済的、そして軍事的にはいまだアメリカの傘下にいながら、地政学的には中国に近い立地にある日本。

コンプライアンス、ワークライフバランス、リスキリング……ビジネスの世界ではアメリカ的価値観が次から次へと流れ込んできますが、一向に理解することができない。

さらに僕たちは社会契約の概念にもピンとこず、いまだ目上の人には気を使い、目下の者には辛くあたるという儒教的価値観を勘違いして内面化する、「体育会系」人間がのさばり続けている状況。

でもそれがいいか悪いかはいったん置いておいて、自然環境が共同体を形成し、その共同体の中で育った個人が集まって社会を構成している以上、仮にグローバル化によって全世界が同じ価値観で統一されたとしても、それを運用する人びとの住んでいる場所、慣習が異なれば、それは違う形で表出するのです。

本書の主題はこの「グローバルとローカルの折り合いをどうつけるのか」だと理解しています。「理念と現実の折り合いをつける」と言い換えることができるかもしれません。けれど実は世界中どこでも同じような課題を抱えているはず。

インターネットによって好きなものが好きなだけ手に入る時代。商品経済のグローバル化がますます進む中で、しかし地球上で生きていく以上はローカルのことを真剣に考える必要があります。そういう意味で、僕が本書において最大のポイントだと思ったのが「国民国家」です。

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