どれぐらい時間がたったのか分からない。 ようやく揺れがおさまり、「大丈夫か」と声を掛け合う。 トイレに入っていたという82歳の祖母が右腕を押さえながら出てきた。落ちてきた棚で手首を切ったらしく、5センチほどの裂傷がパックリと開いていた。 買ったばかりだったという祖父自慢の65インチのテレビは無惨に倒れ、液晶の左半分がバキバキに割れていた。
照明も割れ、破片が部屋中に飛び散っている。幸いにも築約50年の木造家屋が潰れることはなかったが、部屋の中はメチャクチャだ。 祖父宅は七尾港から約1キロほどの位置にある。押し寄せた海水が街を飲み込む、3.11の映像が頭の中で蘇った。
「早く逃げるぞ!」 筆者がそう声をかけると、祖父母は我に返ったかのように身支度を始めた。 せんべいや飲料水のペットボトルなど、目についたものを片っ端からバッグに詰め込み、全員で家を出た。 水道管が破裂したのか、あたりは水浸しで土砂が噴き出てぬかるんでいる。 筆者に抱かれた娘は顔を胸に埋め、外を見ようとしない。
倒れた石垣や傾いた家屋を横目に、近所の小学校へ向かった。 大津波警報が出ていた。とにかく上へ上へ逃げなければならない。 校内にはすでに多くの避難者が集まっていた。懐かしい地元の旧友や恩師の姿もある。だが、再会を懐かしんでいる余裕はお互いになかった。 娘を抱き抱えながら、階段を登っていく。最上階の3階にたどり着いたが、まだ不安だ。 屋上へ続く道を探し、また階段を登った。
屋上から低い場所に降りるのは怖い
普段は施錠されているのだろうが、地震の被害だろう。窓ガラスは全面割れていて、窓枠をくぐるようにして外へ出た。 靴底でジャリジャリとガラスの破片が砕ける感触がした。 屋上からは七尾湾を一望できた。 海は穏やかで、いつもと変わらないように見えた。 その静けさがかえって不気味で、筆者は海から最も遠い端の方に親族を誘導した。
叔母が持ってきた毛布を敷き、そこに並んで座った。 30分から1時間ほど、じっとしていただろうか。 日は暮れ始め、だんだんと冷え込んできた。 屋上へ逃げてきていた人たちも校舎内へ戻っていき、いつの間にか筆者と親族だけになった。 父や叔父と話し合い、寒さをしのぐために屋内へ移動することにした。
とはいえ、低い場所へ降りるのは怖い。 筆者たちは3階の踊り場付近で座り込んだ。 水道はまだかろうじて生きていた。今のうちに用を足し、親族にもそうするように勧めた。
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