「だんご3兄弟」を聞いた9歳の私が衝撃を受けた訳 Aマッソ加納愛子さんがハマった「串にささって」
頭の中がもちもちになっていた私は、リアルだんごを求め、お小遣いをもらって近所の商店街にあった老舗の和菓子屋に行った。ピンクと白とみどりのかわいい3色だんごに気を取られながらも、「♪しょうゆぬられて だんごだんご」の歌詞に忠実に、茶色いだんごを買った。あのだんごの味はまったく思い出せない。
同じバスケ教室に通うモリも、「だんご3兄弟」に激ハマりした子どもの1人だった。私とモリは、まわりの友達よりもはるかに、だんごだんごうるさかった。2人で歌割りを決めてそれぞれのパートを責任を持って歌ったし、後半の「♪一年とおして だんご だんご」のところでは両手を広げて一緒にターンもした。いつまでも仲良く、だんごがだんごであることを伸びやかに歌っていくのだと思っていた。
次に友達が歌い出したのは「ゆず」だった
「♪人生を悟る程〜 かしこい人間ではない〜」
夏休みが明けて涼しくなった頃、バスケ終わりにモリが帰り支度をしながらほかの友達と楽しそうに歌っていた。「その曲なに?」「ゆずの『少年』って曲! 今度の運動会で踊るねん」バスケ教室のみんなとは違う小学校に通っていたから、知らないのはその場で私1人だけだった。
「♪愛を語れる程〜 そんなに深くはない〜」
少し前まで一緒にだんごを讃えていたのに、急に人生や愛だと言い出したモリが、とても遠くにいってしまったように感じた。それでも、私もみんなと一緒に歌えるようになりたくて、兄ちゃんにゆずのアルバムを借りて「少年」をたくさんリピートした。その頃から私とモリの会話は、ゆず一色になった。公園の地面に、日が暮れて見えなくなるまで、「夏色」「サヨナラバス」「いつか」「雨と泪」「手紙」などと、木の棒でゆずの曲名をいくつ書けるか勝負した。
ゆずは恋の甘酸っぱさや友情のすばらしさや移ろう季節の美しさをたくさん教えてくれた。一方だんごは、何も教えてくれなかった。教えてくれなかったけど、中学生になって初めてゆずのコンサートに行ったときでさえ、あの日テレビの前で受けた衝撃を超えることはなかった。
「だんご3兄弟」をつくった人は、「流行にならなくていいから、長く歌い継がれる曲になってほしい」と願っていたという。創作活動をする身として、その気持ちは痛いほどわかる。
誰だって忘れられたくない。今日もどこかで口ずさんでほしい。人の心に残り続けたい。友達の子どもが「妖怪ウォッチ」を歌っているとき、甥っ子が「鬼滅の刃」を歌っているとき、ふと、幼い私がどうしていれば、彼らがだんごを歌う未来にできただろうかと、どうしようもないことを考えてしまう。
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