「だんご3兄弟」を聞いた9歳の私が衝撃を受けた訳 Aマッソ加納愛子さんがハマった「串にささって」
9歳の衝撃
あれはいったい何曜日の出来事だっただろうか。平日の夕方、通っていたバスケ教室が休みの日だったから、おそらく月曜日か金曜日だ。居間の隅にあるくたびれたソファーには、いやに派手なセーターを着た親父がだらしなく座っていた。在宅ワーク(当時はそんな言葉はなかったかもしれない)の合間に、休憩がてら学校から帰ってきたばかりの私の話し相手をしていたのだと思う。
はっきり覚えてはいないが、おそらくその日も親父は焼いていない食パンを2つに折って、バカみたいに大きく開けた口につっこむという、いつものむかつく間食をしていたような気がする。その様子を見るたびに「焼けよ」「ジャムくらいつけろよ」「折るなよ」と思っていた。あの日もそうだった可能性はかなり高い。
インターネットで当時の関連記事を探してみると、1999年の1月とあった。となると私は小学4年生で、味方のいないクラスの中で、孤独な学校生活を送っていた頃だ。
それまでにもクラスのリーダーに嫌がらせを受けた子は何人かいたが、私が標的のターンはほかの子より少し長かった。「いじめられている」という事実を冷静に受け入れながらも、心に苦しさが溜まっていかないよう、頑張ってため息ばかり吐いていた。休み時間になるたび図書室へ駆け込み、本を開いて物語の世界に逃げた。「クラス替え早くこい」と祈るような気持ちを抱え、冬眠しているクマのようにじっと春を待ちわびていた。
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