新幹線と在来線特急「自由席・指定席」めぐる歴史 年末年始「のぞみ」全席指定化は必然だった?

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自由席の評判が良かったのか、翌年1966年1月号を見ると「こだま」の自由席が定着。さらに2両ある1等車(グリーン車)のうち1両(7号車)まで自由席化。土休日午後に東京―三島間で1往復運転される臨時の「こだま」は、1等車、2等車すべてが自由席で運転されていた。

そんな自由席の広がりは在来線の特急にも波及した。「つばめ」(名古屋―熊本間)、「はと」(新大阪―博多間)、「しおじ」(新大阪―下関間)、「しおかぜ」(新大阪―広島間)などの山陽本線を走る特急のほか、「しらさぎ」(名古屋―富山間)、「あすか」(名古屋―東和歌山間、紀勢本線経由)にも自由席が設定された。

自由席、衰退と拡大の歴史

1967年1月号を見ると「こだま」の自由席が拡大。12両中1等1両、2等7両の計8両が自由席となる(1等車2両の「こだま」の場合、1等1.5両、2等6両が自由席)。 在来線では「雷鳥」(大阪―富山間)の1往復に自由席が登場。「あすか」は全席自由席に。

1969年1月号では「ひだ」(名古屋―金沢間、高山本線経由)、「あずさ」(新宿―松本間)、「あさま」(東京・上野―長野・直江津間)に自由席が登場と、自由席拡大路線が進むが、1970年1月号を見ると「こだま」のグリーン車が全席指定席(1969年5月に1等車をグリーン車に名称変更)に。「しらさぎ」の自由席が消滅する。

1971年1月号では「雷鳥」「あずさ」の自由席が消滅、代わって「ひたち」(上野―平間)、「あいづ」(上野―会津若松間)に自由席が登場する。

止まったと思われた自由席拡大の流れだが、1973年1月号を見ると再び拡大の方向に。山陽新幹線の新大阪ー岡山間開業、東京から房総方面への特急の誕生、エル特急の誕生などのダイヤ改正により、「ひかり」に初めて自由席が登場。在来線の特急では新たに「やくも」、「わかしお」、「さざなみ」、「とき」、「ひばり」、「はまかぜ」、「あさしお」、「あおば」、「南風」、「しおかぜ」に自由席が設定され、「あずさ」にも自由席が復活する。

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