阪急西宮北口、「球場の街」の記憶を残す住宅都市 オリックスの前身、阪急ブレーブスの本拠地

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その後も利用者増が見込まれることから、阪急はやりくりによる輸送力増強は限界と判断。安全面の観点からも、ダイヤモンドクロッシングを解消することになり、1984年にダイヤモンドクロッシングは姿を消した。それと同時に、神戸線のホームは延伸工事を実施。神戸線の電車が10両編成化されたことで、輸送力の増強が図られた。

神戸線の輸送力増強は住宅都市・西宮の色合いを強めることにもつながったが、西宮北口駅周辺が住宅都市としての性格を加速させていく最大の契機になったのは、1988年に阪急がオリエントリース(現・オリックス)に球団を譲渡したことだろう。

オリックスは引き続き西宮球場をホームスタジアムとして使用したものの、1991年に本拠地を神戸総合運動公園野球場(グリーンスタジアム神戸)へと移転した。プロ野球チームの本拠地ではなくなった西宮球場は、阪急西宮球場と名称を変更。同球場でプロ野球公式戦が催行される回数は激減し、競輪場やコンサート会場として使用されることになる。

そうした中、戦災復興で建てられた集団鉄筋アパートの老朽化が問題として浮上し、再開発機運が高まっていく。

再開発で「球場の街」は新たな姿に

新しいまちづくりが模索される中、1995年1月に阪神・淡路大震災が発生した。西宮北口駅の周辺は大きな被害を出したが、特に神戸線の被害も甚大だった。西宮北口駅―夙川駅間の高架橋は約1.6kmにわたって損壊。この影響で神戸線は全線が不通になった。しかし、梅田(現・大阪梅田)―西宮北口駅間は翌日に運転を再開する。一方、西宮駅―夙川駅間は早期に復旧せず、約半年後に運転を再開。同区間が運休中、阪急西宮球場の脇に代替バスの発着場が設けられて、大阪―神戸間の輸送を担った。

阪急西宮球場は被災しながらも使用不能になることはなく、その後も使用された。しかし、施設の老朽化を理由に2002年に閉場。解体工事を経て、2008年に百貨店の西宮阪急を核テナントとするショッピングモール「阪急西宮ガーデンズ」として生まれ変わっている。

阪急西宮ガーデンズ
阪急西宮球場の跡地には、阪急西宮ガーデンズというショッピングモールが開設された(筆者撮影)

西宮ガーデンズの本館5階には阪急西宮ギャラリーが開設され、阪急ブレーブスの栄光の軌跡を紹介している。また、本館屋上のスカイガーデンには、ホームベースのモニュメントが残されている。

隣接する高松ひなた緑地には、阪急電鉄や阪急ブレーブスを紹介するパネルが設置され、地面には西宮北口駅の名物だったダイヤモンドクロッシングが再現されている。また、球場がなくなった後も、西宮ガーデンズの近くには球場前という踏切が残っている。

西宮北口 球場前踏切
西宮ガーデンズの近くには、ここが阪急西宮球場だったことを伝える球場前という名前の踏切が残る(筆者撮影)

西宮北口駅は球場の街という記憶を残しながらも、大震災を乗り越えた2000年以降に再開発事業によって変貌した。それは西宮神社の門前町として栄えた西宮駅周辺とは異なる、もうひとつの新しい西宮の創出と言っても過言ではないだろう。

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小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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