東京横浜電鉄東横線渋谷駅が開業したのは1927年。1933年には帝都電鉄(現在の京王井の頭線)も乗り入れた。東横百貨店(後の東急百貨店東横店東館)の開業は1934年である。
1938年には玉電ビル(後の東急百貨店東横店西館)が完成し、その2階に玉川線、3・4階部分には東急系の東京高速鉄道(現在の東京メトロ銀座線)が乗り場を設けた。なお、渋谷のシンボル「忠犬ハチ公」が渋谷駅に通っていたのは、1927年頃から死亡する1935年までだ。
東の宮益坂、西の道玄坂に挟まれた狭い谷底を、高架構造で山手線が通されたため、各鉄道とも周辺の丘陵地をトンネルで抜けて、ほぼそのままの高さを保って渋谷駅へ到達するような線形になった。銀座線とて例外ではなく、2020年に東側の明治通りの上へ移転した現在も、地下鉄らしからぬ高架駅のままである。
こうした交通網は、約90年を経て、ほぼすべてが大きく姿を変えた。
1969年廃止の玉電の後身は現在の東急田園都市線で、1977年に新玉川線として地下駅が開業。翌年から営団地下鉄(当時)半蔵門線との相互直通運転を実施している。1997年には井の頭線渋谷駅が改良工事により、現在地に移転した。2008年に東京メトロ副都心線が開業し、2013年に地下化された東急東横線と相互直通運転を始めている。JR渋谷駅改良工事が始まったのは2015年だ。
人が集まりやすい地形
水の流れのように、渋谷は人が集まりやすい地形であったと言える。今は暗渠になっている隠田川と宇田川が合流し渋谷川となっていたのが、今の宮益坂下交差点付近にあった宮益橋だった。宮益の地名は、坂の途中にある御嶽神社に由来する。元は富士見坂と言ったが、江戸時代に「お宮の利益を願って」町の名が宮益町となったのを受けて宮益坂と呼ばれるようになっている。古くは職人の町であった。
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