「ゾロリは自立の物語」人気シリーズに込めた思い 子どもを信じて見守るしかできない「親ってつらい」
――ゾロリとママの関係性は、原さん自身の経験が影響しているのでしょうか?
とくに経験を反映させようとは思っていないけれど、もしかしたら影響しているのかもしれません。私の場合は、親が離れたのではなく、自分で親から離れたんです。19歳ごろに家出してね。
高校生のときに私は絵の道に進もうと決めて、美大を受験しました。でも美大の試験には、実技のほかに学科もあって、勉強は好きじゃなかったため不合格になりました。高校卒業後は芸術コースのある予備校に通ったのですが、その予備校でもまだ美大受験のノウハウがなかったこともあり、自由にすごす時間があって、感性を養うという名目で、予備校仲間と映画や展覧会を観に行くなど遊んでばかりいたので、また不合格になりました。それでも親は「美大を出たほうが、仕事があるだろうから」とまた受験を勧めるのですが、絵を描きたいのに関係のない勉強で立ち止まらされるのがイヤで、うんざりして家出しました。
自分の人生を考える期間
1カ月くらい、当時暮らしていた愛知県を離れて、四国を放浪しました。あとで聞いたことですが、母は毎日泣いていたそうです。自分としては、死のうと思っていたわけではないから、そんなに心配しないだろうと思っていたけれど、母はつらかったみたいです。でも、私にとって親から離れるのは必要なことでした。自分の人生をちゃんと自分で考えることができたので。
ただ、旅は過酷でした。春先で、気候のいい季節だから野宿でもすごしやすいだろうと思っていたけれど、夜はすごく寒かったし、野犬に囲まれるなど、怖い思いもしました。優雅にスケッチしながら旅しようと思っていたのに、全然そんな余裕はなく、絵を描くどころか毎日「今日はどこで寝よう」とばかり考えていました。自分だけで生きるというのは本当にたいへんでした。でも、それを痛感したからこそ、自立への覚悟が決まったように思います。絶対に絵で食べていくと決心できました。
家へ帰る途中、大阪へ寄って残っていたお金を全部つぎ込み、画材を買いました。そして帰宅すると、両親に「私は絵を描いて生きていきます。アルバイトをしながら絵を描きためて、出版社回りをします」と宣言しました。親は何も言わなかったです。というより、言えなかったのかな。ここで口を出したら、今度こそ家へ戻ってこないのではないかと怖かったのだと思います。
こうやってふり返ってみると、親って本当につらい立場ですね。ただ子どもを信じて見守ることしかできないのだから。ゾロリのママもきっともどかしいと思う。悩んでいる保護者の方にはぜひ、ゾロリのママを見てほしいです。ママはゾロリが心配でしょっちゅうようすを見に来ているんですけれど、幽霊なので手出しができない。ひたむきにじっと見守っています。そんなママの姿を励みにしてもらえたらと思います。
――ありがとうございました。
(聞き手・本間友美、古川寛太、不登校ラボ)
1953年、熊本県生まれ。1974年、KFSコンテスト、講談社児童図書部門賞受賞。キツネのゾロリを主人公にした『かいけつゾロリ』を、1987年から35年以上、年2冊刊行し続ける。そのほかおもな作品に、『ほうれんそうマン』シリーズ、『プカプカチョコレー島』シリーズ、『イシシとノシシのスッポコペッポコへんてこ話』シリーズなどがある。
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