「将来、何になりたい?」聞く親が子を不幸にする訳 若者たちが活力をもつ社会にするために必要なこと

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かつてヨーロッパには村落共同体ごとに「コモン(共有地)」というものがありました。村人たちは、コモンで鳥獣を狩ったり、魚を釣ったり、果樹やキノコを採ったり、牛や羊を放牧したりすることができました。コモンが豊かであれば、村人は個人資産とかかわりなく、豊かな生活を享受できた。

しかし、資本主義が発展するとコモンは消滅して、そこでは生産性の高い産業が営まれ、貧しい村人たちは生きるために都市に集住して、賃労働に従事することになりました。そうやって労働力を売る以外に生きる術を持たないプロレタリアと、彼らの生み出す価値を収奪する資本家の階級社会が生まれた、と『資本論』には書かれています。

国を豊かにしたいと思うなら、豊かなコモンをもう一度作り直すしかありません。一握りの人たちが天文学的な個人資産を持っていても、99%が貧しいならその国は貧しい国です。日本はそうなりつつあります。

「格付け」と「自分らしさ」の強要が子を不幸にする

――とくに若者たちが活力をもつ社会にするには、何から始めるべきでしょうか。

日本の子どもたちはたいへん不幸な状態にあると思います。不登校や引きこもりの急増を見ても、自殺者の増え方を見ても、今の日本の子どもたちが精神的にかなり追い詰められている。

子どもたちは幼いうちから「査定」のまなざしにさらされて、同学齢集団内での相対的な競争を強いられ、そのスコアによって格付けされています。同時に、早くから「自分探し」という名目の下で、将来の専門分野や職業について、具体的な計画を持つことを求められています。

「格付け」と「自分らしさ」の強要、これが日本の子どもを不幸にしています。いずれも人生の早い段階で「自分が将来的にそこに釘付けにされるポジション」を選択しろと迫っています。「自分が生き埋めにされるタコツボを早く選べ」と急かされて、愉快な気持ちになる子どもがいるでしょうか。

とりあえず、親や教師たちにできるのは、子どもたちに「将来何になりたい?」という質問を向けないことです。そんなつまらないことを聞く暇があったら、子どもに「世界は広い。君の知らない無数の生き方がある」ということを教えてあげるほうがずっと大切です。

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